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カイロスの意味とは?時計では測れない神の時
多くの人は時計に従って生きています。時間、締め切り、カレンダー。そうやって人生を測っています。けれども聖書は、時について別の言葉を使います。壁にかかった時計とは、何の関係もない言葉です。 その言葉が (カイロス) καιρός — 「定められた、恵みにかなった時」です。この一語を知ると、新約聖書のおもだった約束の読み方が変わります。 カイロスは分を数えません。時を刻むのではなく、時を告げます。神が...
検索語: “聖書研究”
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多くの人は時計に従って生きています。時間、締め切り、カレンダー。そうやって人生を測っています。けれども聖書は、時について別の言葉を使います。壁にかかった時計とは、何の関係もない言葉です。 その言葉が (カイロス) καιρός — 「定められた、恵みにかなった時」です。この一語を知ると、新約聖書のおもだった約束の読み方が変わります。 カイロスは分を数えません。時を刻むのではなく、時を告げます。神が...
1535年、マイルズ・カヴァデールが、英語で初めての完全な聖書を印刷しました。その序文で、彼は読者にたったひとつの心得を残しています。「聖書を理解するのに大いに助けとなるのは、何が語られ、何が書かれているかだけでなく、だれによって、だれに向かって、どのような言葉で、いつ、どこで、何のために、どのような状況のもとで語られたのかに心を留め、その前に何があり、その後に何が続くのかを考えることである」 長...
私たちは情報があふれる時代に生きています。説教を聞き、ディボーションを読み、キリスト教のコンテンツを指先でたどっていきます。それなのに、学んだことをなかなか思い出せない。聞いたこと、読んだことの多くは、数日のうちに指の間からこぼれ落ちていきます。 説教を聞いて心に残るのは、およそ一割だと言われます。読めば二割に増えます。暗記すれば六割ほどになるかもしれません。けれども、八割から十割へと扉を開く黄金...
何百万という家庭の棚に、聖書が置かれています。そこには真理があります。けれども、それだけでは誰も自由になりません。 主イエスは、「真理があなたがたを自由にする」とは言われませんでした。もっと絞り込んだ言い方をなさいました。 「また真理を知るであろう。そして真理はあなたがたに自由を得させるであろう」 ヨハネによる福音書 8:32 (口語訳) 順序が大切です。まず知ること。自由は、知ることのあとに続く...
わたしたちはしばしば、聖書を大まかな思想の集まりのように扱ってしまいます。神は大筋を示されたけれども、細かい言い回しは人間の書き手に委ねられたのだろう、と。けれども、聖書を書いた人々自身は、そのようには考えていませんでした。彼らは、神が一語一語、一文字に至るまで霊感を与えられたと信じていたのです。 これが、いわゆる完全霊感の教理です。聖霊が、本文のことばそのものを導かれた、ということです。 使徒パ...
聖書を開き、山のような知識を積み上げながら、その著者にはついに出会わない——そういうことが起こり得ます。神学校を優秀な成績で卒業し、頭は満ち足りているのに、心は空っぽのまま、ということも。 聖書は「知識は人を誇らせ」ると告げます(コリント人への第一の手紙 8:1 口語訳より)。誇らせるのが知識なら、人を建て上げるのは啓示です。その違いは頭の良し悪しにあるのではありません。心の姿勢にあるのです。 「...
聖書が何と言っているかを知ることと、聖書がだれに向かって語っているかを知ることとは、別のことです。 主イエスは、その働きの初めに、弟子たちを遣わすにあたって、はっきりとした指示をお与えになりました。 「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け」 マタイによる福音書 10:5-6 (口語訳) もし、この主ご自身のことばを、そのまま今日のわたし...
聖書には、誠実な読み方が二つあります。ところが多くの人は、そのうちの片方しか持ち合わせていません。 ひとつは、近くを見る読み方です。一つの節を選び、そこにとどまります。朝に読み、昼にもう一度それを転がしてみる。何年も素通りしていた一語に、ふと目が留まる。 「このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。」 詩篇 1:2 (口語訳) これが顕微鏡の読み方です。距離を稼ぐのではありませ...
多くの人は、旧約聖書を重たい律法が並ぶ歴史の書として読みます。けれども、その読み方からは混乱と恐れしか生まれません。 正しく読み取るためには、旧約聖書をイエスの啓示として読み解く必要があります。聖霊に教えていただき、本文のただ中にキリストを現していただくほかありません。 意味を決めるのは歴史的な文脈です。英訳聖書の初期の翻訳者であった Miles Coverdale は、読者にこう勧めました。だれ...
旧約の時代、神は王座に着く者に、一風変わった命令をお与えになりました。まず軍を増やせとも、宮殿を高く築けとも言われません。筆を執りなさい、と言われたのです。 「彼がその国の王座に座するようになったならば、彼はこの律法の写しを、自分のために一つの書物に書きしるさなければならない。……それを身近く置き、生きながらえる日の間、常にそれを読まなければならない。」 申命記 17:18-19 (NKJV より...
多くの人は、聖書の系図を読み飛ばします。見慣れない古い名前が延々と並ぶのを見て、情報の「ブラックホール」のように感じるのです。冗長で、味気ないもの、と。けれども御国には、無駄な言葉というものが一つもありません。 創世記五章を開くと、アダムからノアまでの名前が並んでいます。表面だけを見れば、生まれた、生んだ、死んだ、という記録にすぎません。ところが、そのヘブライ語の名前の意味をたどっていくと、そこに...
復活の日、主イエスは何をなさることもおできになりました。その主が選ばれたのは、落胆したふたりの男と並んで歩き、聖書を説き明かすことでした。 しかも、ただの聖書の学びではありません。 「聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた」 ルカによる福音書 24:27 (口語訳) イスラエルについて、ではありません。成功について、でもありません。人生の打開策について、でもありません...
手のひらに収まる一冊の本が、あなたの人生にとっての「造り主の取扱説明書」になります。 そこには答えがあります。けれども、それ以上に力あるものが収められています。いのちです。 聖書は、聖書そのものについてこう語ります。「神の霊感を受けて書かれたものであって」。ギリシア語では、これはたった一つの言葉で言い表されています。(theopneustos) θεόπνευστος — 「神が息を吹き込んだ」...
多くの人は、聖書を救急薬のように扱っています。心が張り詰めたときに一服。暮らしが重くなったときに一節。 けれども聖書は、非常時のためだけに与えられたのではありません。日ごと、また日ごとに読まれるためのものです。 読む。思いめぐらす。調べる。洗われる。そのどれにも、それぞれの役割があります。 ある日は広く読み進め、心についた埃をすすぐように。ある日は歩みを緩め、ペンを手に、たった一文に自分を探られる...
自分が何を手にしているのか、私たちはときどき忘れてしまいます。息をしている書物を、です。 パウロはこう記しました。「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって」テモテへの第二の手紙 3:16 (口語訳)。この「神の霊感を受けて」は、もとの言葉ではたった一語です。(テオプネウストス) θεόπνευστος — 「神が息を吹き入れた」 つまり聖書は、神についての人間の推測を書き留めた記録では...