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カイロスの意味とは?時計では測れない神の時
多くの人は時計に従って生きています。時間、締め切り、カレンダー。そうやって人生を測っています。けれども聖書は、時について別の言葉を使います。壁にかかった時計とは、何の関係もない言葉です。 その言葉が (カイロス) καιρός — 「定められた、恵みにかなった時」です。この一語を知ると、新約聖書のおもだった約束の読み方が変わります。 カイロスは分を数えません。時を刻むのではなく、時を告げます。神が...
検索語: “文脈”
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多くの人は時計に従って生きています。時間、締め切り、カレンダー。そうやって人生を測っています。けれども聖書は、時について別の言葉を使います。壁にかかった時計とは、何の関係もない言葉です。 その言葉が (カイロス) καιρός — 「定められた、恵みにかなった時」です。この一語を知ると、新約聖書のおもだった約束の読み方が変わります。 カイロスは分を数えません。時を刻むのではなく、時を告げます。神が...
ギデオンは酒ぶねの中に身を隠していました。モーセは「どうか、ほかの人を」と神に願いました。エレミヤは「わたしはまだ若い」と言いました。神に召された三人。そのだれもが、自分こそこの務めにふさわしくない人間だと思い込んでいたのです。 自信のなさは、現代に生まれた病ではありません。SNSや人事評価とともにやって来たものでもありません。それは堕落のときから人と共にありました。アダムとエバが神を避けて身を隠...
信じた人が「あなたは律法に対して死んだ」と初めて聞くとき、きまって顔を出す妥協があります。こう言うのです。「ええ、儀式の律法には死にました。子羊も、祭りも、祭司の清めも。けれども、十戒は別でしょう」。 慎重な言い分に聞こえます。けれども、パウロが書いたのはそれではありません。 教える側は、学びのために律法をいくつかに区分することがあります。儀式律法、民事律法、道徳律法。それは教室の道具です。学ぶ人...
サウルは人を恐れて、王座を失いました。ダビデは神に愛されていることを知っていたので、王座を保ちました。この二人の王を分けたものは、人の承認の上に築かれた人生と、神の受け入れの上に築かれた人生の違いです。 人に気に入られようとすること――それは性格の問題ではありません。霊のありようの問題であり、聖書はそこに正面から触れています。「人に取り入る者」を指すギリシア語から、世論に膝を折った王の物語まで、聖...
1535年、マイルズ・カヴァデールが、英語で初めての完全な聖書を印刷しました。その序文で、彼は読者にたったひとつの心得を残しています。「聖書を理解するのに大いに助けとなるのは、何が語られ、何が書かれているかだけでなく、だれによって、だれに向かって、どのような言葉で、いつ、どこで、何のために、どのような状況のもとで語られたのかに心を留め、その前に何があり、その後に何が続くのかを考えることである」 長...
多くのクリスチャンが、「救われた」という言葉を知っています。けれども、その言葉の背後にあるギリシア語 — ソーゾー — が、同時に「いやされた」「救い出された」「全きものとされた」「守られた」という意味を持っていることを知る人は、それほど多くありません。一つの言葉が、そのすべてを抱えているのです。 これは小さなことではありません。神は初めから、救いをあなたのたましいのところで止めるおつもりなどなか...
十字架の上からイエスが最後に見たものの一つは、ご自分の衣をめぐってくじを引く兵卒たちの姿でした。 「そこで彼らは互に言った、『それを裂かないで、だれのものになるか、くじを引こう』。これは、『彼らは互にわたしの上着を分け合い、わたしの衣をくじ引にした』という聖書が成就するためであった。兵卒たちはそのようにしたのである。」 ヨハネによる福音書 19:24 (口語訳) すべてを所有しておられる方が、そこ...
聖書が何と言っているかを知ることと、聖書がだれに向かって語っているかを知ることとは、別のことです。 主イエスは、その働きの初めに、弟子たちを遣わすにあたって、はっきりとした指示をお与えになりました。 「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け」 マタイによる福音書 10:5-6 (口語訳) もし、この主ご自身のことばを、そのまま今日のわたし...
ひとりの人が、自分の持ち物すべての十分の一を、ひとりの祭司に手渡しました。モーセの律法が与えられる四百年以上も前のことです。命令もなく、義務もなく、神殿もありません。あるのはただ、自分を救い出してくださった神への、感謝のこたえだけでした。 その人がアブラハム。そして祭司がメルキゼデクです。 十分の一をめぐる話は、たいてい義務から始まります。「ささげるべきですか」「ささげなければ神に罰せられますか」...
多くの人は、旧約聖書を重たい律法が並ぶ歴史の書として読みます。けれども、その読み方からは混乱と恐れしか生まれません。 正しく読み取るためには、旧約聖書をイエスの啓示として読み解く必要があります。聖霊に教えていただき、本文のただ中にキリストを現していただくほかありません。 意味を決めるのは歴史的な文脈です。英訳聖書の初期の翻訳者であった Miles Coverdale は、読者にこう勧めました。だれ...
医者はパニック発作に薬を処方できます。カウンセラーは、思考の枠組みを組み替える術を教えてくれます。けれども聖書は、そのどちらにもできないことをします。恐れがどこから来たのか、だれがそれを打ち破ったのか、そしてなぜそれがもはやあなたの人生に立ち入る権利を持たないのかを、はっきり告げるのです。 恐れは、神が聖書の中で最も繰り返し語られた主題です。「恐れるな」という言葉は、聖書に三百六十五回以上出てきま...
多くの人は、シャロームを「平和」と訳します。それは「家庭」を「建物」と訳すようなものです。間違いではありません。けれども、まだ足りません。 シャロームは、ヘブライ語聖書のなかでもっとも豊かな言葉のひとつです。旧約聖書に二百五十回以上あらわれます。日々のあいさつとして交わされ、軍勢の上に宣言され、預言者たちによって約束され、神ご自身の名にまで刻まれました。御使たちがイエスの誕生を告げたとき、ただ気分...
多くの人は「恵み」を、受けるに値しない者への好意、と説明します。間違いではありません。けれども、まだ足りません。ローマを訪れて噴水をひとつ眺め、これが街のすべてだと言うようなものです。 新約聖書で「恵み」と訳されている言葉は (カリス) χάρις — 「恵み、好意、賜物」です。新約に百五十六回、百四十七の節に現れます。パウロが用い、ヨハネは福音書の序文をこの語を軸に組み立て、ルカはイエスの口から...
アダムが堕ちたとき、この世界にあるものが入り込みました。罪に対する、神の宣告です。それは体にも、心にも、被造物そのものにも及ぶ、こわれた有り様でした。 パウロはこう書いています。 「わたしたちがさばかれるのは、この世と共に罪に定められないために、主によって懲らしめられているのである」コリント人への第一の手紙 11:32 (NKJV より私訳) この世はすでに、罪に定められた下にあります。一人ひとり...
裁判はすでに終わりました。判決は言い渡され、裁判長は席を立ち、木槌の音も鳴りやんでいます。それなのに被告席の人は、もう一度立ち上がってこう尋ねるのです。「でも、本当に確かなのでしょうか」。 これが、自分の救いを疑っている信者の姿です。 「クリスチャンは救いを失うことがあるのか」——この問いは、まじめな信者を心の病へと追い込んできました。神を愛する人々から確信を奪い、良い知らせを、細かい但し書きのつ...
神はすべてのわざを終え、造られたものをことごとく見渡し、それから思いがけないことをなさいました。休まれたのです。疲れたからではありません。すべてが完成したからです。 このひとつの出来事――第七日の安息――が、聖書に記されたあらゆる平安の約束、供給の約束、守りの約束の土台になりました。それなのに、多くの信仰者は今も、安息を「余裕のある人にだけ許された贅沢」のように扱っています。 聖書は安息を付け足し...
ヘブライ語聖書には、日本語のどの一語にも収まりきらない言葉があります。「あわれみ」「いつくしみ」「変わらない愛」「誠実」「真実」。訳者たちはさまざまに訳し分けてきました。どの訳語も、その一面はとらえています。けれども、すべてをとらえた訳語はひとつもありません。 その言葉が (ヘセド) חֶסֶד — 「契約に根ざした、絶えることのない愛」です。 旧約聖書に二百五十一回現れます。詩篇を満たし、ルツの...