ふたりの子、ふたつの生き方

人生の歩み方には、二つの道があります。そしてその二つは、はるか昔に生まれたふたりの子によって示されています。
使徒パウロは、アブラハムの家族の物語は単なる歴史ではないと語ります。それは象徴であり、比喩です。(allēgoreō) ἀλληγορέω — 「比喩で語る」という言葉が、そこで用いられています。
まず、イシマエルがいました。女奴隷ハガルから生まれた子です。彼が表すのは肉です。ここでいう「肉」とは、必ずしも罪を犯すことや、身を持ちくずすことを指しているのではありません。肉が表しているのは、人の努力です。神の歩みが遅いように思えて、つい手を貸そうとしてしまう——あの心の動きです。神の結果を、人の力で出そうとすること。それが肉です。
次に、イサクがいました。自由の女サラから生まれた子です。彼が表すのは約束です。イサクは、人の力ではどうにもならなくなったときに生まれました。両親の体が、もはや死んだも同然となったその時に、与えられたのです。励みによってではなく、神の言葉の力によって生まれた子でした。
イシマエルは、あなたにできること。イサクは、神にできること。
一方は不安と計画から生まれ、もう一方は安息と受け取ることから生まれます。きょうのあなたの歩みを、どちらの子が形づくるのか——それは、あなたが選ぶことができるのです。
イシマエルを産み出そうと力むのをやめて、あなたのイサクを与えてくださる神に信頼しましょう。
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