検索結果

検索語: 栄光

20件の記事が見つかりました

孤独に、聖書はどう答えるか

人でいっぱいの部屋にいながら、ひとりだと感じることがあります。人の行き交うオフィス、席の埋まった礼拝堂、家族が囲む食卓。それでも、隣の席だけがぽっかり空いているように思えるのです。孤独は、まわりに何人いるかで決まるものではありません。いま自分が立っている場所と、自分が本当に知られていると感じられる場所との、その隔たりのことなのです。 聖書はこの主題を避けません。詩篇にも、預言者の書にも、主イエスの...

この約束は携挙の話ではありません

約束を読み違えた時制で受け取ると、しまい込む引き出しまで間違えてしまいます。 多くの信者が、ローマ人への手紙 8:11 でそれをしています。読んで、一瞬希望がわいて、それからその約束をまるごと未来へ押しやってしまう。「それは携挙のときの話でしょう」と。こうして、この御言葉は「いつの日か」と書かれた引き出しに眠り、火曜日の現実には指一本触れないままになります。 けれども、この節をよく見てください。...

栄光へと導かれて

私たちは罪を、規則を破ること、悪い行いをすることだと考えがちです。けれども聖書は罪を、神の栄光に達しないことと語ります。それは行いの失敗である以前に、立場の喪失であり、住む場所の喪失なのです。 ですから救いとは、あなたを地獄から遠ざけるだけのものではありません。あなたを栄光へと連れ戻すことなのです。 「そもそも、万物の帰すべきかた、万物を造られたかたが、多くの子らを栄光に導くのに、彼らの救の君を、...

からだは神の宮

敵の手口は、いつも決まっています。まず人を孤立させ、やがてその人自身の手で自分を損なわせるのです。マルコによる福音書五章は、ガダラ人の地で、墓場に住みついた一人の人の姿を伝えています。 「そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。」 マルコによる福音書 5:5 (口語訳) この人の状態には、三つのしるしがありました。ひとつは、人から離れて孤立していたこと。ひとつ...

神に手を貸さなくていい

それは、いかにも立派な衝動に見えます。牛がつまずいた。神の箱が落ちようとしている。ウザは手を伸ばし、それを支えようとしました。そして、彼は死にました。なぜでしょうか。神が腹を立てられたのでしょうか。いいえ。ウザは、今日の私たちの多くが犯すのと同じ、致命的な思い違いをしていたのです。神は自分の助けを必要としている、と彼は思いました。神の栄光はもろく、人の力で支えてやらなければ倒れてしまう、と思ったの...

歩みの前に、豊かさを

エペソ人への手紙には、はっきりとした設計図があります。 前半の三章は、あなたが何を持っているかを語ります。後半の三章は、あなたが何をするかを語ります。この順序に意味があります。「召にふさわしく歩きなさい」と告げられる前に、あなたはまず、キリストにあってどれほど富んでいるかを聞かされるのです。 パウロは、わたしたちの立ち位置を言い表すのに、ひとつの語を選びました。(kharitoō) χαριτόω...

意志の力なしに変わる

世にある自己改善の多くは、意志の力を求めます。規則を決めなさい、習慣を記録しなさい、そして自分で自分を変えなさい、と。けれども新しい契約は、まったく別の道を差し出します。 パウロは、クリスチャンが変えられていく道筋をこう描きます。 「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」 コリント人への...

十分の一は、律法より先にありました

ひとりの人が、自分の持ち物すべての十分の一を、ひとりの祭司に手渡しました。モーセの律法が与えられる四百年以上も前のことです。命令もなく、義務もなく、神殿もありません。あるのはただ、自分を救い出してくださった神への、感謝のこたえだけでした。 その人がアブラハム。そして祭司がメルキゼデクです。 十分の一をめぐる話は、たいてい義務から始まります。「ささげるべきですか」「ささげなければ神に罰せられますか」...

野の花よりも尊いあなた

私たちは人生の多くを、大きくなろうともがきながら過ごします。自分の背丈のこと、知恵のこと、行く末のこと。自分の手で安心を紡ぎ出し、自分の力で評判を積み上げようとします。 けれども主イエスは、それとはまったく別の道を指さされます。野の花の道です。 八福の丘の上、赤や黄の花に囲まれながら、主は一輪の花を手に取り、これがどう育っているか見てごらん、と言われました。夜更けまで働くわけでもなく、思いわずらう...

セラ——立ち止まるという技

聖書は七十四回、ある言葉をさしはさみます。節の終わりに、たいていは括弧のなかに、ぽつりと置かれています。多くの人は脚注のように見て、そのまま通り過ぎてしまいます。けれども、もしその小さな一語が、聖書のなかで最も実践的な勧めだとしたら、どうでしょうか。 その言葉が「セラ」です。 詩篇に七十一回、ハバクク書に三回。ほかの書には一度も出てきません。預言者も説明せず、使徒も定義しません。それでいて、この語...

律法の下ではなく、恵みの下に

律法は、何をすべきかを告げます。恵みは、何がすでに成し遂げられたかを告げます。一方はあなたから取り立て、もう一方はあなたに供給します。そして聖書は、わたしたちが今どちらの下に生きているのかを、少しもあいまいにしていません。 ローマ人への手紙6章14節を耳にしたことのある方は多いでしょう。けれども、その一節が何を宣言しているのかに立ち止まった方は、そう多くありません。パウロは「律法と恵みのつり合いを...

復活の主という鏡

わたしたちには癖があります。自分の人生を——その痛み、その失敗、その限界を——じっと見つめて、それを動かしようのない最終の現実として受け入れてしまう癖です。 けれども聖書は、別の鏡を差し出します。自分から目を離して、イエスを見なさい、と。しかも、ガリラヤの岸辺を歩かれた日のイエスだけではありません。今この瞬間のイエス——天に上げられ、栄光を受け、父の右に座しておられるそのお姿を見なさい、と招かれて...

見つめる者が、変えられる

わたしたちの多くは、力ずくで自分を変えようとします。けれども主イエスは、まなざしによって、わたしたちを変えてくださいます。 パウロはこう言います。 「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」 コリント人への第二の手紙 3:18 (口語訳) 変化は、努力から生まれるのではありません。触れつづ...

贖いが創造にまさる理由

創造は輝かしいものでした。けれども、贖いはそれにまさります。 創造には、神の力が必要でした。贖いには、神のみ心が必要でした。 創造は、世界をかたちづくりました。贖いは、その世界を救いました。 神がアダムを造られたとき、そこには美しさがありました。けれども、主イエスが人を贖われたとき、そこには勝利がありました。 聖書は、この順序をこう告げています。 「世の初めからほふられた小羊」ヨハネの黙示録 13...

恵みは、栄光へと続く

恵みが先に来ます。栄光はそのあとに従います。神が語られる物語は、いつもこの順序です。 放蕩息子が家に持ち帰れたものは、飢えだけでした。けれども、用意してきた詫びの言葉を言い終える前に、父は最上の着物で彼を覆い、指に指輪をはめ、足にくつをはかせたのです。 「最上の着物を出してきてこの子に着せ」ルカによる福音書 15:22 (口語訳) これが恵みです。 パウロも、同じことを語っています。 「義とした者...

見つめるものに、人は似ていく

私たちが変えられるのは、自分の欠点を見つめることによってではなく、主を見つめることによってです。 パウロはこう書いています。 「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく」コリント人への第二の手紙 3:18 (口語訳) 自分で自分を彫り上げるのではありません。その御前に立つとき、そのお方の臨在が私たちを造り変えてくださるのです。...

神は根から実を測られます

わたしたちはしばしば、目に見えるもので働きを測ります。規模、活動の多さ、人目につくかどうか。けれども聖書は、外に現れた姿がすべてを語ることはない、と告げます。 サムエルはエリアブを見て、心を動かされました。けれども神は、そうではありませんでした。 「人は外の顔かたちを見、主は心を見る」サムエル記上 16:7 (口語訳) 神の見極めは、枝からではなく、根から始まります。 しかし、聖書はもう一つの真実...

あなたの価値を決めたのは、十字架です

肩書きは、一度の面談で変わります。関係は、一度の会話で終わります。積み上げた読者も、アルゴリズムが一度変われば消えてしまいます。自分の値打ちがそのどれかに乗っているなら、足もとの土台は動き続けていることになります。 聖書は、人の価値という問いを宙ぶらりんにしません。いちばん初めに——創世記1章で答え、そしてもう一度、十字架で答えます。あなたが何かを成し遂げるより先に、神はあなたの値打ちを宣言され、...

カリスとは何か——「恵み」の意味を一変させるギリシア語

多くの人は「恵み」を、受けるに値しない者への好意、と説明します。間違いではありません。けれども、まだ足りません。ローマを訪れて噴水をひとつ眺め、これが街のすべてだと言うようなものです。 新約聖書で「恵み」と訳されている言葉は (カリス) χάρις — 「恵み、好意、賜物」です。新約に百五十六回、百四十七の節に現れます。パウロが用い、ヨハネは福音書の序文をこの語を軸に組み立て、ルカはイエスの口から...

神は家賃のことも心にかけておられます

神が関心をお持ちなのは、わたしたちの霊的な手入れだけ——祈りの生活、礼拝への出席、道徳的な立ち位置だけ。そんな誤解があります。わたしたちはいつのまにか、「信心」と日々の暮らしとを別々の棚に置いてしまうのです。 けれども神は、あなたの人生を「霊的なこと」と「世俗のこと」に仕分けたりなさいません。神が目を向けておられるのは、あなたという人間まるごとです。 「…神の力は、ご自身の栄光と徳とによってわたし...