検索結果

検索語: “信じること”

14件の記事が見つかりました

収穫を期待するのは欲でしょうか

ひとりの少年が、枯れ葉を大きな籠にかき集めています。葉は軽いので、みるみるうちに山になり、籠はもう一杯に見えます。ところが少年は籠の中に入り、足で踏みつけます。葉は沈み、また入る余地ができます。もう一度かき集め、また満たし、また踏む。それから籠を揺すって葉を落ち着かせ、さらに足していきます。とうとう籠はもう一枚も受けつけず、山は縁からこぼれ落ちます。 主イエスが語られた収穫は、まさにこのとおりでし...

人に気に入られたい心の正体

サウルは人を恐れて、王座を失いました。ダビデは神に愛されていることを知っていたので、王座を保ちました。この二人の王を分けたものは、人の承認の上に築かれた人生と、神の受け入れの上に築かれた人生の違いです。 人に気に入られようとすること――それは性格の問題ではありません。霊のありようの問題であり、聖書はそこに正面から触れています。「人に取り入る者」を指すギリシア語から、世論に膝を折った王の物語まで、聖...

あなたはアブラハムの子孫

主イエスは、堕ちた天使たちをあがなうために死なれたのではありません。天の存在の性質をまとって、彼らをその堕落から救い出されたのでもありません。主はその助けの手を、まっすぐにあなたへと向けられました。 「確かに、彼は天使たちを助けるのではなく、アブラハムの子孫を助けられるのである。」ヘブル人への手紙 2:16 (口語訳) あなたがキリストのものであるなら、あなたはアブラハムの子孫です。主の契約による...

聖書は「考えすぎ」に何と言うか

頭が止まってくれません。夜、床に入ると、思いの群れが口々に叫び出します。交わした会話を何度も巻き戻し、まだ起きてもいない災いを予行演習し、存在してもいない問題を解こうとする。そして止めようとすればするほど、頭の中の音量は上がっていきます。 聖書には、この状態を指す言葉があります。いいえ、二つあります。 ギリシャ語の (メリムナオー) μεριμνάω — 「いくつにも分けられる」。十の方向へ引き裂...

救は、いつも「今」

神は「おできになる」と信じることに、私たちはあまり苦労しません。難しいのは、「してくださる」と信じること、しかもそれを今信じることです。 けれども主イエスは、救を遠い未来に置かれたことがありません。いつも、その人の「今」の中に踏み込んでこられました。 足もとで震える女に向かって、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです」マルコによる福音書 5:34 (口語訳) 木の上のザアカイに向かって、「きょ...

神はわたしに失望しているのか

また、やってしまいました。そのとき真っ先に心をよぎったのは、失敗そのもののことではありませんでした。神のことでした。「きっと、神はわたしに失望しておられる」。 この一言は、信じる者なら誰しも、どこかの時点で胸の奥に抱えるものです。無神論者の堂々とした反論でもなく、神学者の議論でもありません。声に出さず、ひとりでしまい込んでおく恐れ——自分を救ってくださったその神が、今は自分を見て首を横に振っておら...

アガペーとは何か — 条件をつけない神の愛

ギリシア語には、愛を表す言葉が四つあります。日本語には、ひとつしかありません。このささやかな違いが、歴史上のどんな神学論争にも劣らないほど、神についての誤解を生んできました。 夫が妻に「愛している」と言い、その同じ口で「ピザが大好きだ」と言う。日本語はどちらも同じ棚に並べてしまいます。ギリシア語はそうしません。ギリシア語には、神の愛だけを指す言葉があるのです。あまりに独特なので、初代のクリスチャン...

主が今も指摘なさる二つのこと

主イエスは、エマオの途上の弟子たちに、道徳や努力の話をなさいませんでした。もっと深いところに語りかけられました。 「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ」 ルカによる福音書 24:25 (口語訳) 指摘は二つ。そして、それは今も変わりません。 愚かさ — 頭の出来が足りなかったからではありません。すでに手にしていた聖書を、彼ら自身が分かっていなかったからで...

実は、力みではなく、つながりから

私たちはよく、行いを整えることで自分を変えようとします。もっと厳しい習慣、もっと強い意志、もっと固い自制。 けれども主イエスは、もっと素朴な絵を示されます。 「もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる」ヨハネによる福音書 15:5 (口語訳) 豊かに実を結ぶ枝は、歯を食いしばった結果ではありません。ぶどうの木につながったまま、そこにいた...

失敗は失格ではありません

失敗は、人があなたを見る目を変えます。けれども、主イエスがあなたを見るまなざしは変わりません。 復活のあと、ペテロは思いがけないことをしました。漁に戻ったのです。 忠誠を誓った人でした。決して主を知らないとは言わない、と約束した人でした。そして、人々の目の前で失敗した人でした。 それなのに聖書は、ヨハネによる福音書21章を叱責からではなく、朝の食事から始めます。 「イエスが岸に立っておられた」 ヨ...

恵みだけが変えられるもの

聖書は、意志の力で罪と戦いなさいとは、ひとことも言っていません。むしろ、この真理のうちに憩いなさいと招いています。 「なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。」ローマ人への手紙 6:14 (口語訳) 律法は、問題を指し示します。恵みは、その問題から解き放ちます。 恵みによって解放された人が、何か月も、何年もたってから証しを書くことが多...

御国の通貨

ヨーロッパへ旅に出れば、ドルでコーヒーを一杯買うことはできません。ユーロが要ります。イギリスへ行けばポンド、インドネシアへ行けばルピアが要ります。 どの国にも、そこでしか通じない通貨があり、それがあって初めて取り引きが成り立ちます。 天の御国も同じです。御国にも通貨があります。けれどもそれは、金でも銀でも、立派な行いでもありません。御国の通貨は、信仰です。 神がそのように定められました。あなたの理...

きよさは、正しく信じることから

福音は心をきよめます。 人は、外側から内側へと自分を変えようとします。けれども神は、内側から外側へと私たちを変えてくださいます。 習慣を洗い直し、ふるまいを整え、衝動を抑えることはできます。けれども、きよさが始まるのは、福音だけが届く場所――心です。 聖書は、実に簡潔です。 「信仰によって彼らの心をきよめ」使徒行伝 15:9 (NKJV より私訳) 福音は、ただ赦すだけではありません。きよめます。...

良いわざが生まれる場所

律法は実を要求します。恵みは実を結ばせます。 主イエスは言われました。 「良い木が悪い実をならせることはなく、悪い木が良い実をならせることはできない」マタイによる福音書 7:18 (口語訳) 実は、力ずくで生らせるものではありません。木の内側に流れている命が、おのずと結ばせるものです。 パウロはこう書いています。 「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神である」ピ...