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検索語: 証し

15件の記事が見つかりました

恵みが悔い改めを生む

律法主義の説教は、圧力と脅しを頼りにします。要求すれば従うようになる、という前提です。けれども人の性は、その反対を証ししています。外から押しつけられた規則は、服従よりもむしろ反発を呼び起こすのです。 心の本当の変化は、値なしに与えられる神の恵みが示されるときに起こります。 「それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことを知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。」 ローマ人への手紙 2...

攻撃されるのは、道を外れていない証拠

霊的な攻撃を受けると、自分が何か間違ったことをしたせいだと考える人がいます。けれども多くの場合、事実はその逆です。 主イエスはこう言われました。 「盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。」ヨハネによる福音書 10:10 (口語訳) 盗人は、空っぽの家には押し入りません。宝の置かれている場所をこそ狙うのです。 敵は、あなたのまなざしに宿る安らぎを憎みます。あなたの語り...

神はわたしに失望しているのか

また、やってしまいました。そのとき真っ先に心をよぎったのは、失敗そのもののことではありませんでした。神のことでした。「きっと、神はわたしに失望しておられる」。 この一言は、信じる者なら誰しも、どこかの時点で胸の奥に抱えるものです。無神論者の堂々とした反論でもなく、神学者の議論でもありません。声に出さず、ひとりでしまい込んでおく恐れ——自分を救ってくださったその神が、今は自分を見て首を横に振っておら...

律法が退くとき

幼な子イエスが宮に連れてこられたその瞬間、美しい「衛兵の交代」が起こりました。 そこにシメオンという老人がいました。彼は生涯をかけて、イスラエルの慰められる日を待ち続けていた人です。その名 (Shim'on) שִׁמְעוֹן — 「聞くこと」が示すとおり、シメオンはしばしば律法を映す姿として読まれてきました。正しく、敬虔で、そして、待っている姿です。 シメオンはイエスを見ると、その腕に抱いてこ...

アガペーとは何か — 条件をつけない神の愛

ギリシア語には、愛を表す言葉が四つあります。日本語には、ひとつしかありません。このささやかな違いが、歴史上のどんな神学論争にも劣らないほど、神についての誤解を生んできました。 夫が妻に「愛している」と言い、その同じ口で「ピザが大好きだ」と言う。日本語はどちらも同じ棚に並べてしまいます。ギリシア語はそうしません。ギリシア語には、神の愛だけを指す言葉があるのです。あまりに独特なので、初代のクリスチャン...

聖書が語る恐れ — 自由にする七つの真理

医者はパニック発作に薬を処方できます。カウンセラーは、思考の枠組みを組み替える術を教えてくれます。けれども聖書は、そのどちらにもできないことをします。恐れがどこから来たのか、だれがそれを打ち破ったのか、そしてなぜそれがもはやあなたの人生に立ち入る権利を持たないのかを、はっきり告げるのです。 恐れは、神が聖書の中で最も繰り返し語られた主題です。「恐れるな」という言葉は、聖書に三百六十五回以上出てきま...

真実をはさむ愛

愛のない真実は人を壊します。真実のない愛は人を欺きます。 主イエスは、その両方を同時に手に持つすべを知っておられました。 井戸のそばでサマリヤの女と交わされたやりとりを思い起こしてみましょう。彼女は人々から外され、壊れた関係が幾重にも絡まり、恥を背負って生きていました。 主イエスは、彼女の過去を見ないふりはなさいませんでした。けれども、そこから話を始めもしませんでした。 主はまず、彼女に頼みごとを...

闘いが終わるとき

解放とは、意志の力をふりしぼる激しい戦いだ——わたしたちはつい、そう思い込みます。習慣を断ち切ろうと歯を食いしばり、もう一日だけ耐えられますようにと願う。けれども肉は頑固なものです。押さえつければ押さえつけるほど、いっそう強く押し返してくるように感じられます。 「わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない」 ガラテヤ人への手紙 5:16 (口語訳) もっと高...

ヒマラヤに眠る海の骨

地質学の証拠と古代の記録は、聖書の語る全地を覆った洪水の記事を裏づけています。地質学者たちは、ヒマラヤの高峰の岩の中に、海の生き物の遺骸——骨格——が埋もれているのを記録してきました。この動かぬ事実が指し示しているのは、かつて水が、あれほど高い土地までも覆っていたということです。 この出来事の前、地球の大気は今とは違っていました。聖書は「おおぞら」、すなわち (ラキア) רָקִיעַ — 「広が...

燃え尽きたあなたへ、休んでよいのです

天から火を呼び下した預言者がいました。四百五十人の偽預言者を相手に、国を挙げた対決に勝ちました。王の戦車を追い越して走りました。その翌日、彼は神に、わたしの命を取ってくださいと願いました。 それが燃え尽きです。才能の不足ではありません。信仰の不足でもありません。人格の破れでもありません。燃え尽きとは、注ぎ出す量が、注がれる量を超えたときに起こることです。そして聖書は、多くの人が思うよりもずっとやさ...

努力では開かない扉

学ぶことも、人とのつながりも、悪いものではありません。けれども、そのどちらも、神だけが開くことのできる扉を保証してはくれません。 ヨセフには、誇れる経歴がありませんでした。肩書もありません。後ろ盾となる人脈もありません。 それでも、聖書はこう記します。 「主が彼の手のすることをみな栄えさせられる」創世記 39:3 (NKJV より私訳) 栄えたのは、うまい手立てがあったからではありません。主がとも...

そこにいる、という務め

あなたには、自分では気づいていない影響力があります。旧約聖書のモーセは、神とともにいたあとで顔が光を放っていました。けれど聖書は、本人はそれを「知らなかった」と記しています。ヘブライ語の (ヤーダ) יָדַע — 「知る」が打ち消されている、つまり自分では少しも気づいていなかったのです。 「モーセは主と語ったゆえに、その顔の皮が光を放ったが、彼はそれを知らなかった。」 出エジプト記 34:29...

救いは失われるのか——恵みの本当の意味

裁判はすでに終わりました。判決は言い渡され、裁判長は席を立ち、木槌の音も鳴りやんでいます。それなのに被告席の人は、もう一度立ち上がってこう尋ねるのです。「でも、本当に確かなのでしょうか」。 これが、自分の救いを疑っている信者の姿です。 「クリスチャンは救いを失うことがあるのか」——この問いは、まじめな信者を心の病へと追い込んできました。神を愛する人々から確信を奪い、良い知らせを、細かい但し書きのつ...

恵みだけが変えられるもの

聖書は、意志の力で罪と戦いなさいとは、ひとことも言っていません。むしろ、この真理のうちに憩いなさいと招いています。 「なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。」ローマ人への手紙 6:14 (口語訳) 律法は、問題を指し示します。恵みは、その問題から解き放ちます。 恵みによって解放された人が、何か月も、何年もたってから証しを書くことが多...

教会にいても、救われているとは限りません

出席は信仰のように見えます。けれども、本当のところを明かすのは心だけです。 イエスは言われました。 「このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである」マタイによる福音書 7:20 (口語訳) パウロもこう言い添えます。 「もし、キリストの霊を持たない者があれば、その人はキリストのものではない」ローマ人への手紙 8:9 (口語訳) クリスチャンの言葉を知り、クリスチャンの歌を歌い、クリ...