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聖書は「考えすぎ」に何と言うか
頭が止まってくれません。夜、床に入ると、思いの群れが口々に叫び出します。交わした会話を何度も巻き戻し、まだ起きてもいない災いを予行演習し、存在してもいない問題を解こうとする。そして止めようとすればするほど、頭の中の音量は上がっていきます。 聖書には、この状態を指す言葉があります。いいえ、二つあります。 ギリシャ語の (メリムナオー) μεριμνάω — 「いくつにも分けられる」。十の方向へ引き裂...
検索語: “光”
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頭が止まってくれません。夜、床に入ると、思いの群れが口々に叫び出します。交わした会話を何度も巻き戻し、まだ起きてもいない災いを予行演習し、存在してもいない問題を解こうとする。そして止めようとすればするほど、頭の中の音量は上がっていきます。 聖書には、この状態を指す言葉があります。いいえ、二つあります。 ギリシャ語の (メリムナオー) μεριμνάω — 「いくつにも分けられる」。十の方向へ引き裂...
霊的な攻撃を受けると、自分が何か間違ったことをしたせいだと考える人がいます。けれども多くの場合、事実はその逆です。 主イエスはこう言われました。 「盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。」ヨハネによる福音書 10:10 (口語訳) 盗人は、空っぽの家には押し入りません。宝の置かれている場所をこそ狙うのです。 敵は、あなたのまなざしに宿る安らぎを憎みます。あなたの語り...
多くの信じる者が、まちがった山のふもとに天幕を張ったまま、そこで一生を過ごしています。 聖書は、二つの霊的な場所を並べて示します。シナイの山と、シオンの山です。 シナイは、律法が与えられた場所です。隔たりの場所、雷鳴の場所、身の震える場所。あまりの恐ろしさに、神の友と呼ばれたモーセさえ、揺さぶられたほどでした。 その光景が恐ろしかったので、モーセさえも、「わたしは恐れおののいている」と言った。 ヘ...
人でいっぱいの部屋にいながら、ひとりだと感じることがあります。人の行き交うオフィス、席の埋まった礼拝堂、家族が囲む食卓。それでも、隣の席だけがぽっかり空いているように思えるのです。孤独は、まわりに何人いるかで決まるものではありません。いま自分が立っている場所と、自分が本当に知られていると感じられる場所との、その隔たりのことなのです。 聖書はこの主題を避けません。詩篇にも、預言者の書にも、主イエスの...
約束を読み違えた時制で受け取ると、しまい込む引き出しまで間違えてしまいます。 多くの信者が、ローマ人への手紙 8:11 でそれをしています。読んで、一瞬希望がわいて、それからその約束をまるごと未来へ押しやってしまう。「それは携挙のときの話でしょう」と。こうして、この御言葉は「いつの日か」と書かれた引き出しに眠り、火曜日の現実には指一本触れないままになります。 けれども、この節をよく見てください。...
私たちは罪を、規則を破ること、悪い行いをすることだと考えがちです。けれども聖書は罪を、神の栄光に達しないことと語ります。それは行いの失敗である以前に、立場の喪失であり、住む場所の喪失なのです。 ですから救いとは、あなたを地獄から遠ざけるだけのものではありません。あなたを栄光へと連れ戻すことなのです。 「そもそも、万物の帰すべきかた、万物を造られたかたが、多くの子らを栄光に導くのに、彼らの救の君を、...
創造が神にとってどれほどの代価であったかを、少し考えてみてください。 神は、ひと言で光を造られました。 「神は『光あれ』と言われた。すると光があった。」創世記 1:3 (口語訳) 星も、海も、山々も、銀河も——すべて同じでした。神が語られると、そのとおりに立ちました。 「主が仰せられると、そのようになり、命じられると、堅く立ったからである。」詩篇 33:9 (口語訳) 骨折りもなく、代価もなく、犠...
聖書が何と言っているかを知ることと、聖書がだれに向かって語っているかを知ることとは、別のことです。 主イエスは、その働きの初めに、弟子たちを遣わすにあたって、はっきりとした指示をお与えになりました。 「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け」 マタイによる福音書 10:5-6 (口語訳) もし、この主ご自身のことばを、そのまま今日のわたし...
敵の手口は、いつも決まっています。まず人を孤立させ、やがてその人自身の手で自分を損なわせるのです。マルコによる福音書五章は、ガダラ人の地で、墓場に住みついた一人の人の姿を伝えています。 「そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。」 マルコによる福音書 5:5 (口語訳) この人の状態には、三つのしるしがありました。ひとつは、人から離れて孤立していたこと。ひとつ...
それは、いかにも立派な衝動に見えます。牛がつまずいた。神の箱が落ちようとしている。ウザは手を伸ばし、それを支えようとしました。そして、彼は死にました。なぜでしょうか。神が腹を立てられたのでしょうか。いいえ。ウザは、今日の私たちの多くが犯すのと同じ、致命的な思い違いをしていたのです。神は自分の助けを必要としている、と彼は思いました。神の栄光はもろく、人の力で支えてやらなければ倒れてしまう、と思ったの...
旧約聖書を避けている、という方は少なくありません。裁きが語られ、のろいが並び、厳しい要求が続く。読みながら胸が重くなり、自分の失敗のゆえに神に罰せられるのではないかと、心配になってしまうのです。 けれども旧い契約は、主イエスの完成した御業というレンズを通して読まなければなりません。 「キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。『木にかけられる...
ギリシア語には、愛を表す言葉が四つあります。日本語には、ひとつしかありません。このささやかな違いが、歴史上のどんな神学論争にも劣らないほど、神についての誤解を生んできました。 夫が妻に「愛している」と言い、その同じ口で「ピザが大好きだ」と言う。日本語はどちらも同じ棚に並べてしまいます。ギリシア語はそうしません。ギリシア語には、神の愛だけを指す言葉があるのです。あまりに独特なので、初代のクリスチャン...
エペソ人への手紙には、はっきりとした設計図があります。 前半の三章は、あなたが何を持っているかを語ります。後半の三章は、あなたが何をするかを語ります。この順序に意味があります。「召にふさわしく歩きなさい」と告げられる前に、あなたはまず、キリストにあってどれほど富んでいるかを聞かされるのです。 パウロは、わたしたちの立ち位置を言い表すのに、ひとつの語を選びました。(kharitoō) χαριτόω...
きよさには、イメージの問題があります。 私たちはいつのまにか、きよさを「自分は他人より正しい」という態度と結びつけてしまいました。冷ややかで、人と距離を置き、裁くまなざし。高い台の上に立って、世を見下ろしている姿を思い浮かべるのです。 けれども、それはきよさではありません。高ぶりです。 ヘブライ語で「聖なる」は (カドーシュ) קָדוֹשׁ — 「選び分けられた、他と分けられた、聖なる」。ギリシ...
世にある自己改善の多くは、意志の力を求めます。規則を決めなさい、習慣を記録しなさい、そして自分で自分を変えなさい、と。けれども新しい契約は、まったく別の道を差し出します。 パウロは、クリスチャンが変えられていく道筋をこう描きます。 「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」 コリント人への...
ひとりの人が、自分の持ち物すべての十分の一を、ひとりの祭司に手渡しました。モーセの律法が与えられる四百年以上も前のことです。命令もなく、義務もなく、神殿もありません。あるのはただ、自分を救い出してくださった神への、感謝のこたえだけでした。 その人がアブラハム。そして祭司がメルキゼデクです。 十分の一をめぐる話は、たいてい義務から始まります。「ささげるべきですか」「ささげなければ神に罰せられますか」...
ちょうどよい時に、ちょうどよい場所にいる——それは、そよ風のように心地よいものだと、わたしたちはつい思い込みます。足もとに赤いじゅうたんがすべらかに敷かれ、扉はひとりでに開き、何もかもがぴたりと収まっていく。そんな光景を思い描くのです。 けれども、神の定めた出会いは、まるで災難のような顔をしてやって来ることがあります。 (カイロス) καιρός — 「定められた時、ふさわしい季節、好機」 「ちょ...
神がご自身の臨在を「家」と呼ばれるのには、わけがあります。それは、ただの場所ではありません。それは、覆いです。 主イエスは言われました。 「わたしの父の家には、すまいがたくさんある。」 ヨハネによる福音書 14:2 (口語訳) 隠れるための部屋ではありません。属するための部屋です。 世は、音と光と人の群れであなたを取り囲むことができます。それでも、心はむき出しのままにされることがあります。手は上が...
私たちは人生の多くを、大きくなろうともがきながら過ごします。自分の背丈のこと、知恵のこと、行く末のこと。自分の手で安心を紡ぎ出し、自分の力で評判を積み上げようとします。 けれども主イエスは、それとはまったく別の道を指さされます。野の花の道です。 八福の丘の上、赤や黄の花に囲まれながら、主は一輪の花を手に取り、これがどう育っているか見てごらん、と言われました。夜更けまで働くわけでもなく、思いわずらう...
医者はパニック発作に薬を処方できます。カウンセラーは、思考の枠組みを組み替える術を教えてくれます。けれども聖書は、そのどちらにもできないことをします。恐れがどこから来たのか、だれがそれを打ち破ったのか、そしてなぜそれがもはやあなたの人生に立ち入る権利を持たないのかを、はっきり告げるのです。 恐れは、神が聖書の中で最も繰り返し語られた主題です。「恐れるな」という言葉は、聖書に三百六十五回以上出てきま...