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孤独に、聖書はどう答えるか
人でいっぱいの部屋にいながら、ひとりだと感じることがあります。人の行き交うオフィス、席の埋まった礼拝堂、家族が囲む食卓。それでも、隣の席だけがぽっかり空いているように思えるのです。孤独は、まわりに何人いるかで決まるものではありません。いま自分が立っている場所と、自分が本当に知られていると感じられる場所との、その隔たりのことなのです。 聖書はこの主題を避けません。詩篇にも、預言者の書にも、主イエスの...
検索語: “創造”
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人でいっぱいの部屋にいながら、ひとりだと感じることがあります。人の行き交うオフィス、席の埋まった礼拝堂、家族が囲む食卓。それでも、隣の席だけがぽっかり空いているように思えるのです。孤独は、まわりに何人いるかで決まるものではありません。いま自分が立っている場所と、自分が本当に知られていると感じられる場所との、その隔たりのことなのです。 聖書はこの主題を避けません。詩篇にも、預言者の書にも、主イエスの...
創造が神にとってどれほどの代価であったかを、少し考えてみてください。 神は、ひと言で光を造られました。 「神は『光あれ』と言われた。すると光があった。」創世記 1:3 (口語訳) 星も、海も、山々も、銀河も——すべて同じでした。神が語られると、そのとおりに立ちました。 「主が仰せられると、そのようになり、命じられると、堅く立ったからである。」詩篇 33:9 (口語訳) 骨折りもなく、代価もなく、犠...
また、やってしまいました。そのとき真っ先に心をよぎったのは、失敗そのもののことではありませんでした。神のことでした。「きっと、神はわたしに失望しておられる」。 この一言は、信じる者なら誰しも、どこかの時点で胸の奥に抱えるものです。無神論者の堂々とした反論でもなく、神学者の議論でもありません。声に出さず、ひとりでしまい込んでおく恐れ——自分を救ってくださったその神が、今は自分を見て首を横に振っておら...
ダビデ王は、神との関係について、ひとつはっきりと分かっていたことがありました。神はすべての人を愛しておられる。そのうえで、神はこの自分を喜んでくださっている。彼はそう信じていたのです。 その思いは、詩篇のことばにそのまま表れています。 わたしの敵がわたしに勝ち誇ることのないことによって、あなたがわたしを喜ばれることを、わたしは知ります。 詩篇 41:11 (口語訳) ここで用いられているヘブライ語...
地質学の証拠と古代の記録は、聖書の語る全地を覆った洪水の記事を裏づけています。地質学者たちは、ヒマラヤの高峰の岩の中に、海の生き物の遺骸——骨格——が埋もれているのを記録してきました。この動かぬ事実が指し示しているのは、かつて水が、あれほど高い土地までも覆っていたということです。 この出来事の前、地球の大気は今とは違っていました。聖書は「おおぞら」、すなわち (ラキア) רָקִיעַ — 「広が...
信仰とは、自分で奮い立たせようとする感情ではありません。信仰は天の通貨であり、ひとつの一致です——心で信じ、口で語る、その重なりです。 パウロは、飾らずにこう言います。 「みことばは、あなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある」ローマ人への手紙 10:8 (口語訳) これは、神ご自身の働き方でもあります。創造のとき、神は闇について論評はなさいませんでした。 「神は『光あれ』と言われた。...
創造は輝かしいものでした。けれども、贖いはそれにまさります。 創造には、神の力が必要でした。贖いには、神のみ心が必要でした。 創造は、世界をかたちづくりました。贖いは、その世界を救いました。 神がアダムを造られたとき、そこには美しさがありました。けれども、主イエスが人を贖われたとき、そこには勝利がありました。 聖書は、この順序をこう告げています。 「世の初めからほふられた小羊」ヨハネの黙示録 13...
天から火を呼び下した預言者がいました。四百五十人の偽預言者を相手に、国を挙げた対決に勝ちました。王の戦車を追い越して走りました。その翌日、彼は神に、わたしの命を取ってくださいと願いました。 それが燃え尽きです。才能の不足ではありません。信仰の不足でもありません。人格の破れでもありません。燃え尽きとは、注ぎ出す量が、注がれる量を超えたときに起こることです。そして聖書は、多くの人が思うよりもずっとやさ...
肩書きは、一度の面談で変わります。関係は、一度の会話で終わります。積み上げた読者も、アルゴリズムが一度変われば消えてしまいます。自分の値打ちがそのどれかに乗っているなら、足もとの土台は動き続けていることになります。 聖書は、人の価値という問いを宙ぶらりんにしません。いちばん初めに——創世記1章で答え、そしてもう一度、十字架で答えます。あなたが何かを成し遂げるより先に、神はあなたの値打ちを宣言され、...
神は傑作を造られました。天と地を造り終えられたとき、神はただ「良い」と言われたのではありません。「はなはだ良かった」と言われたのです。 そしてそのあと、神は危険とも思える一手を打たれました。人に鍵を手渡されたのです。 神は人に支配権をお与えになりました。この地に対する権威を、私たちの手に委ねられたのです。ところが悲しいことに、最初の人アダムは、偽り者の側に立ってしまいました。あの嘘に耳を貸すことを...
神はすべてのわざを終え、造られたものをことごとく見渡し、それから思いがけないことをなさいました。休まれたのです。疲れたからではありません。すべてが完成したからです。 このひとつの出来事――第七日の安息――が、聖書に記されたあらゆる平安の約束、供給の約束、守りの約束の土台になりました。それなのに、多くの信仰者は今も、安息を「余裕のある人にだけ許された贅沢」のように扱っています。 聖書は安息を付け足し...
多くのクリスチャンがここで戸惑い、古い性質はまだ生きていると思い込んでいます——毎日組み伏せなければならない、罪深いもうひとりの自分がいる、と。 けれども、真実はまったく逆です。 「わたしたちの古き人がキリストと共に十字架につけられた」ローマ人への手紙 6:6 (口語訳) 「今つけられつつある」ではありません。「繰り返しつけ直さねばならない」でもありません。すでにつけられた、と書かれています。 こ...
出席は信仰のように見えます。けれども、本当のところを明かすのは心だけです。 イエスは言われました。 「このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである」マタイによる福音書 7:20 (口語訳) パウロもこう言い添えます。 「もし、キリストの霊を持たない者があれば、その人はキリストのものではない」ローマ人への手紙 8:9 (口語訳) クリスチャンの言葉を知り、クリスチャンの歌を歌い、クリ...
古代の石切り場では、石は厚い暗やみの中に眠っていました。だれかが中へ入り、岩から切り離し、運び出すまでは。ペテロが、神がわたしたちになさったことを語るとき、思い描いているのは、その光景です。 (ekklesia) ἐκκλησία — 「召し出された者たち」 「暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかた」 ペテロの第一の手紙 2:9 (口語訳) あなたは、自分で出口を探していた石ではありません...