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自信のない自分に、聖書は何と言うか
ギデオンは酒ぶねの中に身を隠していました。モーセは「どうか、ほかの人を」と神に願いました。エレミヤは「わたしはまだ若い」と言いました。神に召された三人。そのだれもが、自分こそこの務めにふさわしくない人間だと思い込んでいたのです。 自信のなさは、現代に生まれた病ではありません。SNSや人事評価とともにやって来たものでもありません。それは堕落のときから人と共にありました。アダムとエバが神を避けて身を隠...
検索語: “正直”
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ギデオンは酒ぶねの中に身を隠していました。モーセは「どうか、ほかの人を」と神に願いました。エレミヤは「わたしはまだ若い」と言いました。神に召された三人。そのだれもが、自分こそこの務めにふさわしくない人間だと思い込んでいたのです。 自信のなさは、現代に生まれた病ではありません。SNSや人事評価とともにやって来たものでもありません。それは堕落のときから人と共にありました。アダムとエバが神を避けて身を隠...
信じる者は、神の基準を受け入れない世の仕組みの中で日々を送っています。これは今に始まったことではありません。イスラエルの民もまた、敵意に満ちた文化の秩序のもとで、七十年のあいだバビロンの捕囚として生きました。 預言者エレミヤを通して、神は神を知らぬ文化の中で生きるための、具体的な指示をお与えになりました。山の洞穴に身を隠せとも、普通の暮らしを捨てよとも、神はお命じになりませんでした。 「家を建てて...
空港の搭乗口に立ったまま、どうしても機内に足を踏み入れられない人がいます。本人は「飛行機が怖いのです」と言います。けれども、正確ではありません。怖いのは飛行機ではなく、墜落です。その恐れをどこまでもたどっていくと、行き着く先はひとつ。死ぬことが怖いのです。 同じ根が、人間のほとんどの恐れの下に横たわっています。高い所を恐れるのは、落ちれば命を落とすからです。病を恐れるのは、その先に墓があるからです...
ギリシア語には、愛を表す言葉が四つあります。日本語には、ひとつしかありません。このささやかな違いが、歴史上のどんな神学論争にも劣らないほど、神についての誤解を生んできました。 夫が妻に「愛している」と言い、その同じ口で「ピザが大好きだ」と言う。日本語はどちらも同じ棚に並べてしまいます。ギリシア語はそうしません。ギリシア語には、神の愛だけを指す言葉があるのです。あまりに独特なので、初代のクリスチャン...
ひとりの人が、自分の持ち物すべての十分の一を、ひとりの祭司に手渡しました。モーセの律法が与えられる四百年以上も前のことです。命令もなく、義務もなく、神殿もありません。あるのはただ、自分を救い出してくださった神への、感謝のこたえだけでした。 その人がアブラハム。そして祭司がメルキゼデクです。 十分の一をめぐる話は、たいてい義務から始まります。「ささげるべきですか」「ささげなければ神に罰せられますか」...
愛のない真実は人を壊します。真実のない愛は人を欺きます。 主イエスは、その両方を同時に手に持つすべを知っておられました。 井戸のそばでサマリヤの女と交わされたやりとりを思い起こしてみましょう。彼女は人々から外され、壊れた関係が幾重にも絡まり、恥を背負って生きていました。 主イエスは、彼女の過去を見ないふりはなさいませんでした。けれども、そこから話を始めもしませんでした。 主はまず、彼女に頼みごとを...
私たちの心には、できれば閉じたままにしておきたい部屋があります。触れられたくない、名前をつけられたくない、覗かれたくない場所です。 ダビデもまた、それを知っていました。 彼はほとんどすべてを神のもとへ携えていきました。恐れも、怒りも、受けた不当な仕打ちも、失望も、混乱も、そしていちばん暗い感情までも。 「主よ、いつまでなのですか。とこしえにわたしをお忘れになるのですか。」詩篇 13:1 (口語訳)...
懸命に働けば、それだけ実を結ぶとは限りません。ときに残るのは、疲れだけということもあります。 弟子たちは一晩中、漁をしました。経験があり、腕があり、粘りもありました。 それでも、何も獲れませんでした。 「その夜はなんの獲物もなかった」 ヨハネによる福音書 21:3 (口語訳) 聖書は、恵みを伴わない努力について正直です。 「主の祝福は人を富ませる、主はこれになんの悲しみをも加えない」 箴言 10:...
失敗は、人があなたを見る目を変えます。けれども、主イエスがあなたを見るまなざしは変わりません。 復活のあと、ペテロは思いがけないことをしました。漁に戻ったのです。 忠誠を誓った人でした。決して主を知らないとは言わない、と約束した人でした。そして、人々の目の前で失敗した人でした。 それなのに聖書は、ヨハネによる福音書21章を叱責からではなく、朝の食事から始めます。 「イエスが岸に立っておられた」 ヨ...
火曜日、エリヤは天から火を呼び下ろしました。その翌日には、木の下に座り込み、神に「もう死なせてください」と願ったのです。 これは信仰の弱さの物語ではありません。生身の体を持ち、限界を抱えた、ひとりの本物の預言者の物語です。聖書はその一部始終を書き残しました——エリヤに恥をかかせるためではなく、神の民が底を打ったとき、神が何をなさるかを見せるためです。 神は説教をなさいません。みことばを投げつけて叱...
法廷と十字架は、同じことを語ります。負債は支払われた、と。違いがあるとすれば、十字架は、いつか信じるすべての人のために、その人が生まれる二千年も前に支払いを済ませたということです。 赦しは、自己啓発の棚から出てきた新しい思いつきではありません。聖書の中心にある出来事です。エデンから空の墓まで、聖書全体の流れは一つの出来事へ向かって進みます。神が人類の負債を帳消しにし、この勘定は済んだと宣言される出...
箴言三十章を書いたアグルは、知恵ある人でした。それでも彼は、自分には到底悟りきれない four つのことがある、と正直に打ち明けています。いえ、四つのこと、と言い直しましょう。 「わたしにとって不思議にたえないことが三つある、いや、四つあって、わたしには悟ることができない。すなわち空を飛ぶはげたかの道、岩の上をはうへびの道、海をはしる舟の道、男の女にあう道である。」 箴言 30:18-19 (口語...
精神医学の教科書と福音書が、同じことを語っています。今この瞬間を生きなさい、と。違いは、福音書がそれを二千年も前に語っていたことです。 不安は新しいものではありません。SNSと二十四時間流れ続けるニュースが生んだ現代病でもありません。ダビデは詩篇にそれを書き残しました。エリヤは生涯最大の勝利の直後にそれを味わいました。パウロは日々それを背負っていました。主イエスさえ、ゲツセマネの園でその重みの下に...
心の持ちよう——マインドセットは、私たちが気づいていないときでさえ、すべてを形づくっていく力の一つです。聖書はそれを 「心を新たにすることによって、造りかえられ」ローマ人への手紙 12:2 (口語訳) と語ります。思うということは、受け身の営みではありません。人を造り上げていく営みなのです。 いちばん簡単に言えば、心の持ちようとは、あなたが人生をどう見るか、そのまなざしのことです。 だれにでも、そ...
律法は、神の本命の計画として登場したのではありません。脇の戸口から、そっと入ってきたのです—— 「律法がはいり込んできた」 ローマ人への手紙 5:20 (口語訳) ——舞台の主役としてではなく、どうしても要る一条の照明として。神の御心は、はじめから恵みでした。けれども、自分の有様を知らないうちに差し出される恵みは、どこか安っぽく感じられてしまいます。手ぶらであることに気づいていない人は、贈り物の値...