その幻は、どこから来たか

すべての幻が、神から来るとは限りません。
敵もまた、絵を描きます。かすかな印象、恐れをあおる映像、あるいは自尊心をくすぐる夢物語。
けれども聖書は、立ち止まってよく見るなら、その二つがどれほど違うかをはっきり示しています。
バラムは、意外な例です。
彼はイスラエルの民ではありませんでした。
神と歩む人でもありませんでした。
それでも彼が山の上に立ち、神の民を見渡したとき、
ここで「幻」と訳されている語は、(マハゼー) מַחֲזֶה —「幻、まぼろし」です。神ご自身が見せてくださる光景を指します。
では、彼は何を見たのでしょうか。
いのちに満ち、根を張り、揺るがず、伸びやかに育つ光景です。
そこには詩篇一篇と同じ香りが漂っています。
神が見せる幻には、いつもこういう姿があります。
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あわてさせるのではなく、平安を運びます。
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恐れではなく、いのちを語ります。
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混乱ではなく、真理にあなたを据えます。
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自分を高くする方向ではなく、主イエスへと導きます。
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聖書と響き合い、決して逆らいません。
神の幻は、たましいを回復させ、落ち着かせ、深く根づかせます。
敵の見せる幻は、まるで違います。
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知恵を欠いた、せき立てるような急かし。
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見通しのない、ただの恐れ。
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あなたを孤立させる映像。
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自我をふくらませる夢想。
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聖書から足を遠ざける考え。
敵の幻は、心をざわつかせ、注意をそらします。
内へ引きこもらせるか、下へ沈ませるかのどちらかです。
霊的に聞こえるのに、どこか空しく、落ち着かず、重たいのです。
この違いは、心が神の言葉に形づくられていくほど、はっきりしてきます。
信頼してよい幻は、いつも神ご自身のご性質を映しています。
神の幻は、あなたを豊かに実る場所へ招きます。
敵の幻は、あなたをあがきと空回りへ追い立てます。
神から来る幻は、いつでも神の平安と、神の真実と、神の御心を携えています。
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