譲り渡された権威

法的に、あるいは制度として見るとき、権威とは感じ取るものではなく、代表するものです。主イエスは「いっさいの権威」がご自分に与えられたと言われ、そのうえで、その立場をご自分に従う者たちに委ねられました。
これは実務としての委譲です。国が国民の権利を後ろ盾とするのに似ています。神の備えに反する事態——長引く病、痛みという「悪しき風」——の前に立たされるとき、あなたは自分の腕力で戦っているのではありません。より高い職位から授けられた正当な権利を行使しているのです。
力は重さと勢いに頼り、権威は位に頼ります。この一節には二つの語が並んでいます。(exousia) ἐξουσία —「権威、正当な権利」、(dynamis) δύναμις —「力、勢力」。口語訳は前者を「権威を授けた」、後者を「敵のあらゆる力」と訳し分けていますので、手元の聖書でも確かめられます。敵は「力」を振るうことはできても、信じる者に対する「権威」は、ひとかけらも持っていません。あなたの実際の効き目は、気分の高低ではなく、この位を自分が知っているかどうかにかかっています。
権威は、自分で奮い起こす感情ではありません。あなたがすでに立っている位置です。
この記事が心に残りましたか。毎朝、こうした短いディボーションをメールでお届けします。
