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聖書は「考えすぎ」に何と言うか
頭が止まってくれません。夜、床に入ると、思いの群れが口々に叫び出します。交わした会話を何度も巻き戻し、まだ起きてもいない災いを予行演習し、存在してもいない問題を解こうとする。そして止めようとすればするほど、頭の中の音量は上がっていきます。 聖書には、この状態を指す言葉があります。いいえ、二つあります。 ギリシャ語の (メリムナオー) μεριμνάω — 「いくつにも分けられる」。十の方向へ引き裂...
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頭が止まってくれません。夜、床に入ると、思いの群れが口々に叫び出します。交わした会話を何度も巻き戻し、まだ起きてもいない災いを予行演習し、存在してもいない問題を解こうとする。そして止めようとすればするほど、頭の中の音量は上がっていきます。 聖書には、この状態を指す言葉があります。いいえ、二つあります。 ギリシャ語の (メリムナオー) μεριμνάω — 「いくつにも分けられる」。十の方向へ引き裂...
人でいっぱいの部屋にいながら、ひとりだと感じることがあります。人の行き交うオフィス、席の埋まった礼拝堂、家族が囲む食卓。それでも、隣の席だけがぽっかり空いているように思えるのです。孤独は、まわりに何人いるかで決まるものではありません。いま自分が立っている場所と、自分が本当に知られていると感じられる場所との、その隔たりのことなのです。 聖書はこの主題を避けません。詩篇にも、預言者の書にも、主イエスの...
私たちは罪を、規則を破ること、悪い行いをすることだと考えがちです。けれども聖書は罪を、神の栄光に達しないことと語ります。それは行いの失敗である以前に、立場の喪失であり、住む場所の喪失なのです。 ですから救いとは、あなたを地獄から遠ざけるだけのものではありません。あなたを栄光へと連れ戻すことなのです。 「そもそも、万物の帰すべきかた、万物を造られたかたが、多くの子らを栄光に導くのに、彼らの救の君を、...
古代の戦において、王家の上着は、その人の身分と権威と、これから歩む未来とを語るものでした。ダビデがゴリアテを討ち取り、敵の首を手にして王の前に立ったとき、イスラエルの王子ヨナタンは、ためらうことなく、思い切ったことをします。 「ヨナタンは自分が着ていた上着を脱いでダビデに与えた。またそのいくさ衣、およびつるぎ、弓、帯までも、そうした。」サムエル記上 18:4 (口語訳) ヨナタンは、自分の身分を表...
また、やってしまいました。そのとき真っ先に心をよぎったのは、失敗そのもののことではありませんでした。神のことでした。「きっと、神はわたしに失望しておられる」。 この一言は、信じる者なら誰しも、どこかの時点で胸の奥に抱えるものです。無神論者の堂々とした反論でもなく、神学者の議論でもありません。声に出さず、ひとりでしまい込んでおく恐れ——自分を救ってくださったその神が、今は自分を見て首を横に振っておら...
ギリシア語には、愛を表す言葉が四つあります。日本語には、ひとつしかありません。このささやかな違いが、歴史上のどんな神学論争にも劣らないほど、神についての誤解を生んできました。 夫が妻に「愛している」と言い、その同じ口で「ピザが大好きだ」と言う。日本語はどちらも同じ棚に並べてしまいます。ギリシア語はそうしません。ギリシア語には、神の愛だけを指す言葉があるのです。あまりに独特なので、初代のクリスチャン...
法的に、あるいは制度として見るとき、権威とは感じ取るものではなく、代表するものです。主イエスは「いっさいの権威」がご自分に与えられたと言われ、そのうえで、その立場をご自分に従う者たちに委ねられました。 「わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたので、あなたがたを害するものは、決して何もない」 ルカによる福音書 10:19 (口語訳) これは実務としての委譲...
医者はパニック発作に薬を処方できます。カウンセラーは、思考の枠組みを組み替える術を教えてくれます。けれども聖書は、そのどちらにもできないことをします。恐れがどこから来たのか、だれがそれを打ち破ったのか、そしてなぜそれがもはやあなたの人生に立ち入る権利を持たないのかを、はっきり告げるのです。 恐れは、神が聖書の中で最も繰り返し語られた主題です。「恐れるな」という言葉は、聖書に三百六十五回以上出てきま...
復活は、ただの奇跡ではありません。復活は、一つのメッセージです。 聖書はこう語ります。 「主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである」ローマ人への手紙 4:25 (口語訳) 十字架の死は、わたしたちの罪の代価がどれほどのものだったかを示しています。そして復活は、その支払いが確かに受け取られたことを示しています。 もし、たとえ一つでも罪が主の上に...
聖書は七十四回、ある言葉をさしはさみます。節の終わりに、たいていは括弧のなかに、ぽつりと置かれています。多くの人は脚注のように見て、そのまま通り過ぎてしまいます。けれども、もしその小さな一語が、聖書のなかで最も実践的な勧めだとしたら、どうでしょうか。 その言葉が「セラ」です。 詩篇に七十一回、ハバクク書に三回。ほかの書には一度も出てきません。預言者も説明せず、使徒も定義しません。それでいて、この語...
律法は、何をすべきかを告げます。恵みは、何がすでに成し遂げられたかを告げます。一方はあなたから取り立て、もう一方はあなたに供給します。そして聖書は、わたしたちが今どちらの下に生きているのかを、少しもあいまいにしていません。 ローマ人への手紙6章14節を耳にしたことのある方は多いでしょう。けれども、その一節が何を宣言しているのかに立ち止まった方は、そう多くありません。パウロは「律法と恵みのつり合いを...
人は神ではなくサタンを信じ、大逆の罪を犯しました。このただ一つの選びによって、傷ひとつなかった世界に、老いと病と死が入り込んだのです。 わたしたちはふだん、自分を地上の系図で説明します。父の短気を、父の不安を、父の病歴を、いずれ受け継ぐものと思い込んでいます。世は言います。あなたの健康も、あなたの性格も、血のつながりが決めるのだと。 けれども聖書は、その鎖をきっぱりと断ち切ります。イエスは第二のア...
今日の教会は、弟子訓練という言葉をよく口にします。プログラムを組み、指標をつくり、仕組みで測ろうとします。そして「クリスチャンは大勢いるが、弟子はひと握りだ」と語られ、信じる者はどこか自分が二流であるかのように感じてしまいます。 原語に目を向けてみましょう。ユダヤのラビは、自分に従う者たちを (talmidim) תַּלְמִידִים — 「学ぶ者たち」と呼びました。弟子とは、つまるところ生徒...
肩書きは、一度の面談で変わります。関係は、一度の会話で終わります。積み上げた読者も、アルゴリズムが一度変われば消えてしまいます。自分の値打ちがそのどれかに乗っているなら、足もとの土台は動き続けていることになります。 聖書は、人の価値という問いを宙ぶらりんにしません。いちばん初めに——創世記1章で答え、そしてもう一度、十字架で答えます。あなたが何かを成し遂げるより先に、神はあなたの値打ちを宣言され、...
多くの人は、シャロームを「平和」と訳します。それは「家庭」を「建物」と訳すようなものです。間違いではありません。けれども、まだ足りません。 シャロームは、ヘブライ語聖書のなかでもっとも豊かな言葉のひとつです。旧約聖書に二百五十回以上あらわれます。日々のあいさつとして交わされ、軍勢の上に宣言され、預言者たちによって約束され、神ご自身の名にまで刻まれました。御使たちがイエスの誕生を告げたとき、ただ気分...
火曜日、エリヤは天から火を呼び下ろしました。その翌日には、木の下に座り込み、神に「もう死なせてください」と願ったのです。 これは信仰の弱さの物語ではありません。生身の体を持ち、限界を抱えた、ひとりの本物の預言者の物語です。聖書はその一部始終を書き残しました——エリヤに恥をかかせるためではなく、神の民が底を打ったとき、神が何をなさるかを見せるためです。 神は説教をなさいません。みことばを投げつけて叱...
裁判はすでに終わりました。判決は言い渡され、裁判長は席を立ち、木槌の音も鳴りやんでいます。それなのに被告席の人は、もう一度立ち上がってこう尋ねるのです。「でも、本当に確かなのでしょうか」。 これが、自分の救いを疑っている信者の姿です。 「クリスチャンは救いを失うことがあるのか」——この問いは、まじめな信者を心の病へと追い込んできました。神を愛する人々から確信を奪い、良い知らせを、細かい但し書きのつ...
法廷と十字架は、同じことを語ります。負債は支払われた、と。違いがあるとすれば、十字架は、いつか信じるすべての人のために、その人が生まれる二千年も前に支払いを済ませたということです。 赦しは、自己啓発の棚から出てきた新しい思いつきではありません。聖書の中心にある出来事です。エデンから空の墓まで、聖書全体の流れは一つの出来事へ向かって進みます。神が人類の負債を帳消しにし、この勘定は済んだと宣言される出...
多くのクリスチャンがここで戸惑い、古い性質はまだ生きていると思い込んでいます——毎日組み伏せなければならない、罪深いもうひとりの自分がいる、と。 けれども、真実はまったく逆です。 「わたしたちの古き人がキリストと共に十字架につけられた」ローマ人への手紙 6:6 (口語訳) 「今つけられつつある」ではありません。「繰り返しつけ直さねばならない」でもありません。すでにつけられた、と書かれています。 こ...
ヨセフは、何も持たずにエジプトへ入りました。自由もなく。身分もなく。自分の未来を決める権利さえありませんでした。 けれども、彼にはひとつだけ、すべてを変えるものがありました。 「主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり」創世記 39:2 (口語訳) 成功は、置かれた環境から生まれたのではありません。神が共におられることから生まれました。 神の恵みは、奴隷を家の管理者へと変え、管理者を人を導...