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ソーゾー — 救いも、いやしも、解放も、ひとつの言葉に
多くのクリスチャンが、「救われた」という言葉を知っています。けれども、その言葉の背後にあるギリシア語 — ソーゾー — が、同時に「いやされた」「救い出された」「全きものとされた」「守られた」という意味を持っていることを知る人は、それほど多くありません。一つの言葉が、そのすべてを抱えているのです。 これは小さなことではありません。神は初めから、救いをあなたのたましいのところで止めるおつもりなどなか...
検索語: “使命”
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多くのクリスチャンが、「救われた」という言葉を知っています。けれども、その言葉の背後にあるギリシア語 — ソーゾー — が、同時に「いやされた」「救い出された」「全きものとされた」「守られた」という意味を持っていることを知る人は、それほど多くありません。一つの言葉が、そのすべてを抱えているのです。 これは小さなことではありません。神は初めから、救いをあなたのたましいのところで止めるおつもりなどなか...
多くの人は、日々を仕事と用事と、たまの休みの繰り返しのように過ごしています。けれども神は、あなたのために、それとは別の計画を用意しておられます。 あなたは、生まれるより前から定まり、一生の長さでは収まりきらない使命を負っています。 パウロは、神の夢をこう描いています。 「それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。」エペソ人...
空港の搭乗口に立ったまま、どうしても機内に足を踏み入れられない人がいます。本人は「飛行機が怖いのです」と言います。けれども、正確ではありません。怖いのは飛行機ではなく、墜落です。その恐れをどこまでもたどっていくと、行き着く先はひとつ。死ぬことが怖いのです。 同じ根が、人間のほとんどの恐れの下に横たわっています。高い所を恐れるのは、落ちれば命を落とすからです。病を恐れるのは、その先に墓があるからです...
信じていない人でも、幻を見ることはあります。けれども、それを解き明かすのは、神から出た知恵だけです。 パロは夢を見ました。ネブカデネザルも夢を見ました。バラムは幻を見ました。 けれども、そのだれひとり、自分の見たものの意味を悟ってはいませんでした。 聖書は、そのことを繰り返し示しています。 「隠れた事はわれわれの神、主に属するものである」 申命記 29:29 (口語訳) 見ることと、悟ることは、同...
肩書きは、一度の面談で変わります。関係は、一度の会話で終わります。積み上げた読者も、アルゴリズムが一度変われば消えてしまいます。自分の値打ちがそのどれかに乗っているなら、足もとの土台は動き続けていることになります。 聖書は、人の価値という問いを宙ぶらりんにしません。いちばん初めに——創世記1章で答え、そしてもう一度、十字架で答えます。あなたが何かを成し遂げるより先に、神はあなたの値打ちを宣言され、...
クリスチャンは、何に反対しているかではなく、何を掲げているか——すなわち福音——によって知られるべきです。 人は、いつのまにか「反応」で自分を形づくってしまいます。何を祝福し、何を築き、何を運んでいるかではなく、何に反対しているかで知られるようになるのです。 けれどもパウロは、わたしたちの召しをこう言い表しました。 「わたしたちはキリストの使者なのである」 コリント人への第二の手紙 5:20 (口...
ヨセフは、何も持たずにエジプトへ入りました。自由もなく。身分もなく。自分の未来を決める権利さえありませんでした。 けれども、彼にはひとつだけ、すべてを変えるものがありました。 「主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり」創世記 39:2 (口語訳) 成功は、置かれた環境から生まれたのではありません。神が共におられることから生まれました。 神の恵みは、奴隷を家の管理者へと変え、管理者を人を導...
メシヤ、神の子、イスラエルの王——選ぶことのできた称号はいくつもありました。それでも主イエスがご自分を呼ばれるとき、最も多く口にされたのは「人の子」でした。 それは謙遜から出た言葉ではありません。預言の成就でした。 ダニエルはこう書き残しています。 「人の子のような者が、天の雲に乗ってきて……彼に主権と光栄と国とを賜い」ダニエル書 7:13–14 (口語訳) ダニエルが幻のうちに見たこの (バル・...
「わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がこれをみな取り除き」 — ヨハネによる福音書 15:2 (NKJV より私訳) この一句を読んで、胸の奥がちくりと痛む人は少なくありません。「実を結べない自分は、神に捨てられてしまうのだろうか」その恐れが、信仰者をいつしか演技へと追い込みます。実を育てる代わりに、実を結んでいるふりをしてしまうのです。 けれども、主イエスはあなたを脅しておられたの...
イエスは井戸のかたわらに座っておられました。疲れ、飢え、渇いたままで(ヨハネによる福音書 4:6)。弟子たちは食物を買いに出かけていました。差し出せるものは何一つない——少なくとも、そう見えました。 そこへ、ひとりのサマリヤの女が近づいてきます。すると主は、彼女が求めてもいない恵みを注ぎ始められました。生ける水を明かし、その心をあらわにしながらも辱めず、そしてついに、ほかのだれにもこれほど率直には...
福音書の中で、イエスがご自身を「人の子」と呼ばれた最初の箇所は、この一節です。 「人の子にはまくらする所がない」マタイによる福音書 8:20 (口語訳) 幾千の銀河を造られたお方が、ご自分の世界によそ者として入って来られました。すべてを所有しておられるお方が、乏しさを味わうことを選ばれました。あらゆる誉れにふさわしいお方が、誉れひとつ受けずに迎えられました。 その低さは、たまたまそうなったのではあ...