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検索語: “定め”

20件の記事が見つかりました

カイロスの意味とは?時計では測れない神の時

多くの人は時計に従って生きています。時間、締め切り、カレンダー。そうやって人生を測っています。けれども聖書は、時について別の言葉を使います。壁にかかった時計とは、何の関係もない言葉です。 その言葉が (カイロス) καιρός — 「定められた、恵みにかなった時」です。この一語を知ると、新約聖書のおもだった約束の読み方が変わります。 カイロスは分を数えません。時を刻むのではなく、時を告げます。神が...

自信のない自分に、聖書は何と言うか

ギデオンは酒ぶねの中に身を隠していました。モーセは「どうか、ほかの人を」と神に願いました。エレミヤは「わたしはまだ若い」と言いました。神に召された三人。そのだれもが、自分こそこの務めにふさわしくない人間だと思い込んでいたのです。 自信のなさは、現代に生まれた病ではありません。SNSや人事評価とともにやって来たものでもありません。それは堕落のときから人と共にありました。アダムとエバが神を避けて身を隠...

らくだにも水を汲む人

夕暮れどき、旅に疲れた一人の男が井戸のそばに立っています。その後ろには十頭のらくだが膝を折っています。男は若い娘に、水を少し飲ませてほしいと頼みます。 たいていの人は水がめを傾けて男に飲ませ、そのまま家へ帰るでしょう。それで礼儀は果たせますし、それで十分です。 アブラハムのしもべは、その井戸でだれかに声をかけるより先に、神にしるしを求めました。そのしるしを、彼は心を砕いて選びました。決まった色の服...

バビロンのただ中で

信じる者は、神の基準を受け入れない世の仕組みの中で日々を送っています。これは今に始まったことではありません。イスラエルの民もまた、敵意に満ちた文化の秩序のもとで、七十年のあいだバビロンの捕囚として生きました。 預言者エレミヤを通して、神は神を知らぬ文化の中で生きるための、具体的な指示をお与えになりました。山の洞穴に身を隠せとも、普通の暮らしを捨てよとも、神はお命じになりませんでした。 「家を建てて...

律法は切り分けられません

信じた人が「あなたは律法に対して死んだ」と初めて聞くとき、きまって顔を出す妥協があります。こう言うのです。「ええ、儀式の律法には死にました。子羊も、祭りも、祭司の清めも。けれども、十戒は別でしょう」。 慎重な言い分に聞こえます。けれども、パウロが書いたのはそれではありません。 教える側は、学びのために律法をいくつかに区分することがあります。儀式律法、民事律法、道徳律法。それは教室の道具です。学ぶ人...

繁栄は何のためか

「繁栄」という言葉を聞くと、どこか落ち着かない気持ちになる人は少なくありません。強欲さや自分本位、あるいは上っ面だけの教えを思い浮かべてしまうからです。その警戒心のあまり、神の約束を霊的な領域だけに閉じ込めてしまう。神は霊において豊かにしてくださる、そこまでは信じられる。けれども、からだの健康や日々の必要については、どこか自信が持てないままなのです。 しかし使徒ヨハネは、愛する信徒たちのために、は...

文脈を離れた一節は、口実になる

1535年、マイルズ・カヴァデールが、英語で初めての完全な聖書を印刷しました。その序文で、彼は読者にたったひとつの心得を残しています。「聖書を理解するのに大いに助けとなるのは、何が語られ、何が書かれているかだけでなく、だれによって、だれに向かって、どのような言葉で、いつ、どこで、何のために、どのような状況のもとで語られたのかに心を留め、その前に何があり、その後に何が続くのかを考えることである」 長...

与えられた地を歩く

「自分のものにする」と聞くと、私たちはたいてい戦いを思い浮かべます。地を取るとは、汗を流し、力を尽くし、勝ち取ったものをどうにか守り抜くこと——そんな連戦の日々を想像するのです。けれども神が約束の地についてヨシュアに語られたとき、用いられたのは、その思い込みを根もとから覆す一語でした。「わたしは、すでに与えた」。 「あなたがたが足の裏で踏む所は、わたしがモーセに言ったとおり、ことごとくあなたがたに...

あなたは小さな人生のために造られていません

多くの人は、日々を仕事と用事と、たまの休みの繰り返しのように過ごしています。けれども神は、あなたのために、それとは別の計画を用意しておられます。 あなたは、生まれるより前から定まり、一生の長さでは収まりきらない使命を負っています。 パウロは、神の夢をこう描いています。 「それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。」エペソ人...

孤独に、聖書はどう答えるか

人でいっぱいの部屋にいながら、ひとりだと感じることがあります。人の行き交うオフィス、席の埋まった礼拝堂、家族が囲む食卓。それでも、隣の席だけがぽっかり空いているように思えるのです。孤独は、まわりに何人いるかで決まるものではありません。いま自分が立っている場所と、自分が本当に知られていると感じられる場所との、その隔たりのことなのです。 聖書はこの主題を避けません。詩篇にも、預言者の書にも、主イエスの...

この約束は携挙の話ではありません

約束を読み違えた時制で受け取ると、しまい込む引き出しまで間違えてしまいます。 多くの信者が、ローマ人への手紙 8:11 でそれをしています。読んで、一瞬希望がわいて、それからその約束をまるごと未来へ押しやってしまう。「それは携挙のときの話でしょう」と。こうして、この御言葉は「いつの日か」と書かれた引き出しに眠り、火曜日の現実には指一本触れないままになります。 けれども、この節をよく見てください。...

創世記五章に隠された福音

創世記五章は、名前と数字が並ぶだけの、そっけない一覧のように見えます。アダムからノアまで、十の世代が記されているだけの章です。多くの読者は、洪水の物語に早く進みたくて、ここを読み飛ばしてしまいます。 けれども神は、この系図の中に一つのメッセージを隠しておられました。 ヘブライ語 (ʿivrit) עִבְרִית — 「ヘブライ語」では、名前そのものが意味を持っています。この十人の父祖たちの名を、...

神はわたしに失望しているのか

また、やってしまいました。そのとき真っ先に心をよぎったのは、失敗そのもののことではありませんでした。神のことでした。「きっと、神はわたしに失望しておられる」。 この一言は、信じる者なら誰しも、どこかの時点で胸の奥に抱えるものです。無神論者の堂々とした反論でもなく、神学者の議論でもありません。声に出さず、ひとりでしまい込んでおく恐れ——自分を救ってくださったその神が、今は自分を見て首を横に振っておら...

アガペーとは何か — 条件をつけない神の愛

ギリシア語には、愛を表す言葉が四つあります。日本語には、ひとつしかありません。このささやかな違いが、歴史上のどんな神学論争にも劣らないほど、神についての誤解を生んできました。 夫が妻に「愛している」と言い、その同じ口で「ピザが大好きだ」と言う。日本語はどちらも同じ棚に並べてしまいます。ギリシア語はそうしません。ギリシア語には、神の愛だけを指す言葉があるのです。あまりに独特なので、初代のクリスチャン...

神の定める成功

私たちはつい、画面に並ぶ数字や机に向かった時間の長さで成功をはかります。昼も夜も相場を追いかけ、目が腫れるまで見つめ続けます。疲れ果てることこそ、繁栄の代価なのだと思い込んでいるのです。 けれども神は、成功をまったく別の言葉で定義なさいます。神がヨシュアに語りかけられたとき、お与えになったのは戦の作戦でも、額に汗する労働の手引きでもありませんでした。お与えになったのは、み言葉についての命令でした。...

詩篇90篇ではなく、91篇に生きる

多くのクリスチャンが、神はご自分の民の寿命を七十年、あるいは八十年に区切っておられる、と思い込んでいます。その根拠とされるのが、詩篇90篇の一節です。 「われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悲しみとであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。」 詩篇 90:10 (口語訳) この詩篇を書いたのはモーセです。そして...

十分の一は、律法より先にありました

ひとりの人が、自分の持ち物すべての十分の一を、ひとりの祭司に手渡しました。モーセの律法が与えられる四百年以上も前のことです。命令もなく、義務もなく、神殿もありません。あるのはただ、自分を救い出してくださった神への、感謝のこたえだけでした。 その人がアブラハム。そして祭司がメルキゼデクです。 十分の一をめぐる話は、たいてい義務から始まります。「ささげるべきですか」「ささげなければ神に罰せられますか」...

ユダヤの婚礼とキリストの花嫁

創世記二十四章で、アブラハムは名の記されていないしもべを遣わし、息子イサクのために花嫁を探させます。この史実は、今日の聖霊のみわざを映し出す一枚の絵です。二千年のあいだ、聖霊は御子イエス・キリストのために、一人の花嫁――すなわち教会――を整えつづけてこられました。 この関係を知るには、古代ユダヤの婚礼のならわしに目を向ける必要があります。神が人の慣習をまねられたのではありません。ご自身のご計画を目...

台無しに見えて、そうではない

ちょうどよい時に、ちょうどよい場所にいる——それは、そよ風のように心地よいものだと、わたしたちはつい思い込みます。足もとに赤いじゅうたんがすべらかに敷かれ、扉はひとりでに開き、何もかもがぴたりと収まっていく。そんな光景を思い描くのです。 けれども、神の定めた出会いは、まるで災難のような顔をしてやって来ることがあります。 (カイロス) καιρός — 「定められた時、ふさわしい季節、好機」 「ちょ...

聖書が語る恐れ — 自由にする七つの真理

医者はパニック発作に薬を処方できます。カウンセラーは、思考の枠組みを組み替える術を教えてくれます。けれども聖書は、そのどちらにもできないことをします。恐れがどこから来たのか、だれがそれを打ち破ったのか、そしてなぜそれがもはやあなたの人生に立ち入る権利を持たないのかを、はっきり告げるのです。 恐れは、神が聖書の中で最も繰り返し語られた主題です。「恐れるな」という言葉は、聖書に三百六十五回以上出てきま...