私たちはつい、画面に並ぶ数字や机に向かった時間の長さで成功をはかります。昼も夜も相場を追いかけ、目が腫れるまで見つめ続けます。疲れ果てることこそ、繁栄の代価なのだと思い込んでいるのです。

けれども神は、成功をまったく別の言葉で定義なさいます。神がヨシュアに語りかけられたとき、お与えになったのは戦の作戦でも、額に汗する労働の手引きでもありませんでした。お与えになったのは、み言葉についての命令でした。

「この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう」 ヨシュア記 1:8 (口語訳)

口語訳で「あなたは勝利を得るであろう」と訳されているところは、原語では (タスキール) תַּשְׂכִּיל — 「賢く事をなし、栄える」という語です。その前の「あなたの道は栄え」は (タツリーアハ) תַּצְלִיחַ — 「道が開け、成し遂げる」。神が約束しておられるのは、ただ結果が出ることではなく、知恵をもって歩む道そのものなのです。

よい成功は、あなたを家族から引き離しません。休みを奪うことも、人に仕える力を奪うこともありません。まことの繁栄とは、お金があなたのために働くことであって、あなたがお金のために働くことではありません。手は忙しく動いていても、たましいは静かなまま——それがよい成功のかたちです。もし、あなたの成し遂げたものが平安を代価にし、家庭にいるはずのあなたの姿を消してしまったのなら、それは神の約束された成功ではありません。

目指すべきは、苦闘に心を占められることではなく、み言葉に心を占められることです。