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失敗のあとに、主は近づかれる
弟子たちが一晩中網を下ろして、何一つ獲れなかったとき、主イエスは遠くから指図の声を張り上げたりはなさいませんでした。 岸に立っておられたのです。 語りかけられるほどの近さに。その声が届くほどの近さに。 「イエスが岸に立っておられた」 ヨハネによる福音書 21:4 (口語訳) 失敗は、主を遠ざけませんでした。かえって、出会いを生んだのです。 聖書は、この同じかたちを何度も見せてくれます。 「主は心の...
検索語: “成功”
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弟子たちが一晩中網を下ろして、何一つ獲れなかったとき、主イエスは遠くから指図の声を張り上げたりはなさいませんでした。 岸に立っておられたのです。 語りかけられるほどの近さに。その声が届くほどの近さに。 「イエスが岸に立っておられた」 ヨハネによる福音書 21:4 (口語訳) 失敗は、主を遠ざけませんでした。かえって、出会いを生んだのです。 聖書は、この同じかたちを何度も見せてくれます。 「主は心の...
私たちはつい、画面に並ぶ数字や机に向かった時間の長さで成功をはかります。昼も夜も相場を追いかけ、目が腫れるまで見つめ続けます。疲れ果てることこそ、繁栄の代価なのだと思い込んでいるのです。 けれども神は、成功をまったく別の言葉で定義なさいます。神がヨシュアに語りかけられたとき、お与えになったのは戦の作戦でも、額に汗する労働の手引きでもありませんでした。お与えになったのは、み言葉についての命令でした。...
医者はパニック発作に薬を処方できます。カウンセラーは、思考の枠組みを組み替える術を教えてくれます。けれども聖書は、そのどちらにもできないことをします。恐れがどこから来たのか、だれがそれを打ち破ったのか、そしてなぜそれがもはやあなたの人生に立ち入る権利を持たないのかを、はっきり告げるのです。 恐れは、神が聖書の中で最も繰り返し語られた主題です。「恐れるな」という言葉は、聖書に三百六十五回以上出てきま...
聖書は七十四回、ある言葉をさしはさみます。節の終わりに、たいていは括弧のなかに、ぽつりと置かれています。多くの人は脚注のように見て、そのまま通り過ぎてしまいます。けれども、もしその小さな一語が、聖書のなかで最も実践的な勧めだとしたら、どうでしょうか。 その言葉が「セラ」です。 詩篇に七十一回、ハバクク書に三回。ほかの書には一度も出てきません。預言者も説明せず、使徒も定義しません。それでいて、この語...
ヨセフは、何も持たずにエジプトへ入りました。自由もなく。身分もなく。自分の未来を決める権利さえありませんでした。 けれども、彼にはひとつだけ、すべてを変えるものがありました。 「主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり」創世記 39:2 (口語訳) 成功は、置かれた環境から生まれたのではありません。神が共におられることから生まれました。 神の恵みは、奴隷を家の管理者へと変え、管理者を人を導...