信じる者は、神の基準を受け入れない世の仕組みの中で日々を送っています。これは今に始まったことではありません。イスラエルの民もまた、敵意に満ちた文化の秩序のもとで、七十年のあいだバビロンの捕囚として生きました。

預言者エレミヤを通して、神は神を知らぬ文化の中で生きるための、具体的な指示をお与えになりました。山の洞穴に身を隠せとも、普通の暮らしを捨てよとも、神はお命じになりませんでした。

「家を建てて、それに住み、畑を作ってその産物を食べよ。妻をめとって、むすこ娘を生み……わたしがあなたがたを捕え移させたところの町の平安を求め」 エレミヤ書 29:5-7 (口語訳)

神が願っておられるのは、世の腐敗から守られることであって、人の社会から切り離されることではありません。ダニエルとシャデラク、メシャク、アベデネゴは、バビロンの宮廷のただ中で生きました。その言葉を学び、政の務めに就きながら、なお信仰の確信を曲げることはありませんでした。

「ダニエルは王の食物と、王の飲む酒とをもって、自分を汚すまいと心に定めた」 ダニエル書 1:8 (口語訳)

世俗の只中にあっても、安定した家庭を築き、神を敬う子を育て、正直な商いを営むことはできます。あなたを他と分かつのは、身を退けることではなく、内に据えられた確信なのです。

バビロンでの忠実さとは、日々の暮らしのただ中で、揺るがぬ確信を保ち続けることです。