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ハレルヤの意味とは?救いのあとに歌われる賛美
葬儀の席の後ろのほうに立っていた一人の男性が、聖歌隊の歌う「ハレルヤ」を耳にします。二週間後、クリスマスコンサートで同じ言葉を聞き、さらにラジオから流れるラブソングの中でもまた聞きます。ハレルヤとは「主をほめたたえよ」という意味です。 ヘブライ語のハレルー・ヤーという句で、人々に向かって、ヤハ、すなわち神の御名の短い形で呼ばれる方をほめたたえるよう呼びかける言葉です。 これが辞書の答えです。けれど...
検索語: “ギリシア語”
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葬儀の席の後ろのほうに立っていた一人の男性が、聖歌隊の歌う「ハレルヤ」を耳にします。二週間後、クリスマスコンサートで同じ言葉を聞き、さらにラジオから流れるラブソングの中でもまた聞きます。ハレルヤとは「主をほめたたえよ」という意味です。 ヘブライ語のハレルー・ヤーという句で、人々に向かって、ヤハ、すなわち神の御名の短い形で呼ばれる方をほめたたえるよう呼びかける言葉です。 これが辞書の答えです。けれど...
ある父親が、九歳の息子の隣に腰を下ろします。息子は大好きなテレビ番組に見入っています。決められたテレビの時間なので、父親はテレビを消しません。 父親は聖書を開き、マタイによる福音書4章、荒野での試みの場面を息子に見せます。悪魔が口を開くたびに、イエスは同じ言葉で答えられます。「……と書いてある」。 「すると試みる者がきて言った、『もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごら...
ギデオンは酒ぶねの中に身を隠していました。モーセは「どうか、ほかの人を」と神に願いました。エレミヤは「わたしはまだ若い」と言いました。神に召された三人。そのだれもが、自分こそこの務めにふさわしくない人間だと思い込んでいたのです。 自信のなさは、現代に生まれた病ではありません。SNSや人事評価とともにやって来たものでもありません。それは堕落のときから人と共にありました。アダムとエバが神を避けて身を隠...
「繁栄」という言葉を聞くと、どこか落ち着かない気持ちになる人は少なくありません。強欲さや自分本位、あるいは上っ面だけの教えを思い浮かべてしまうからです。その警戒心のあまり、神の約束を霊的な領域だけに閉じ込めてしまう。神は霊において豊かにしてくださる、そこまでは信じられる。けれども、からだの健康や日々の必要については、どこか自信が持てないままなのです。 しかし使徒ヨハネは、愛する信徒たちのために、は...
道の上に立ってみてください。人は一度に一つの方向しか向けません。墓に向かって立つか、救い主に向かって立つか。その両方を同時に向くことはできません。 多くの人は、死を前に置いて生きています。道の先にある動かぬ一点として扱うのです。誕生日が来るたびに一歩近づき、検査の結果は道のりを示す標識のように読める。だから人はそれを見越して計画を立て、備えて蓄え、そして恐れます。 聖書は、信じる者をその道の別の位...
サウルは人を恐れて、王座を失いました。ダビデは神に愛されていることを知っていたので、王座を保ちました。この二人の王を分けたものは、人の承認の上に築かれた人生と、神の受け入れの上に築かれた人生の違いです。 人に気に入られようとすること――それは性格の問題ではありません。霊のありようの問題であり、聖書はそこに正面から触れています。「人に取り入る者」を指すギリシア語から、世論に膝を折った王の物語まで、聖...
テサロニケ人への第一の手紙 4 章で、パウロは同じことを二度言います。わずか三節のうちに、同じ言葉が繰り返されるのです。「生きながらえて残る」。聖書における繰り返しは、書き手の不注意ではありません。強調です。神が一つの箇所で二度言われるとき、それは立ち止まって、よく見なさいという合図です。パウロはこう書いています。 「わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたち...
多くのクリスチャンが、「救われた」という言葉を知っています。けれども、その言葉の背後にあるギリシア語 — ソーゾー — が、同時に「いやされた」「救い出された」「全きものとされた」「守られた」という意味を持っていることを知る人は、それほど多くありません。一つの言葉が、そのすべてを抱えているのです。 これは小さなことではありません。神は初めから、救いをあなたのたましいのところで止めるおつもりなどなか...
パウロは、はっとさせられることを書いています。ただ一つの理由が——たった一つが——多くの信者が弱り、病み、ついには眠りについた訳を説き明かしています。 「あなたがたの中に弱い者や病人が大ぜいおり、また眠った者も少なくないのは、そのためである」コリント人への第一の手紙 11:30 (口語訳) ギリシア語は、その点をはっきりと示しています。(ディア トゥート) διὰ τοῦτο — 「このゆえに」。...
わたしたちは「希望」という言葉で、少しつまずいているのかもしれません。 日ごろ使う「望み」は、どこか心もとない願いです。「雨が降らないといいな」「あの仕事が決まるといいな」。そこには不確かさがにじみ、結果はまだ宙に浮いたままです。 けれども聖書の言う希望は、投げたコインの裏表ではありません。それは錨です。 希望を表すギリシア語は (エルピス) ἐλπίς です。「たぶん」という意味ではありません。...
使徒パウロは、エペソの信徒たちのために深い祈りをささげました。知恵と啓示との霊を受けるようにと願ったのです。そして、その霊的な知恵がどのように働くのかを、はっきりと言い表しました。それは、心の目が明るくされるときに起こる、と。 原文のギリシア語で「心」にあたる語は (ディアノイア) διάνοια — 「理解力、思い、想像」です。「明るくされる」にあたる語は (フォーティゾー) φωτίζω —...
人でいっぱいの部屋にいながら、ひとりだと感じることがあります。人の行き交うオフィス、席の埋まった礼拝堂、家族が囲む食卓。それでも、隣の席だけがぽっかり空いているように思えるのです。孤独は、まわりに何人いるかで決まるものではありません。いま自分が立っている場所と、自分が本当に知られていると感じられる場所との、その隔たりのことなのです。 聖書はこの主題を避けません。詩篇にも、預言者の書にも、主イエスの...
世界はかつてないほど速く動いているのに、私たちの息はかえって詰まっていくようです。危機が来ると、私たちの本能はアクセルを踏むことです。もっと働き、もっとかき集め、とにかく動いて問題をねじ伏せようとします。けれども主イエスが示された順序は、それとは違いました。まずすわる。それから受け取る。 ヨハネによる福音書 6 章で、主は大勢の群衆を前にされます。手もとに食べ物はありません。けれども主は慌てもせず...
古代の戦において、王家の上着は、その人の身分と権威と、これから歩む未来とを語るものでした。ダビデがゴリアテを討ち取り、敵の首を手にして王の前に立ったとき、イスラエルの王子ヨナタンは、ためらうことなく、思い切ったことをします。 「ヨナタンは自分が着ていた上着を脱いでダビデに与えた。またそのいくさ衣、およびつるぎ、弓、帯までも、そうした。」サムエル記上 18:4 (口語訳) ヨナタンは、自分の身分を表...
幼な子イエスが宮に連れてこられたその瞬間、美しい「衛兵の交代」が起こりました。 そこにシメオンという老人がいました。彼は生涯をかけて、イスラエルの慰められる日を待ち続けていた人です。その名 (Shim'on) שִׁמְעוֹן — 「聞くこと」が示すとおり、シメオンはしばしば律法を映す姿として読まれてきました。正しく、敬虔で、そして、待っている姿です。 シメオンはイエスを見ると、その腕に抱いてこ...
揺り動かされうるものは、すべて揺り動かされます。 制度も、経済も、人の手で作られた宗教も、震えています。わたしたちはそういう時代に生きています。聖書は、神が地と天とを揺り動かされる、と告げます。それは「振われないものが残るため」です。 では、最後まで残るものとは何でしょうか。恵みの御国です。 この揺れを、わたしたちはどう生き抜くのでしょうか。 「このゆえに、わたしたちは震われない国を受けているのだ...
旧約の時代、イスラエルの敵は収穫の時を待ち構えていました。作物が実ると、ミデアンびとが押し寄せて食糧を奪っていったのです。ギデオンが夜、酒ぶねの中で麦を打たなければならなかったのも、ただそれを隠すためでした。 ダビデには、自分たちの食糧を敵に渡すまいとした勇士たちがいました。その一人、シャンマという人は、レンズ豆の畑のただ中に立ちました。 「しかし彼はその地所の中に立って、これを防ぎ、ペリシテびと...
旧約聖書を避けている、という方は少なくありません。裁きが語られ、のろいが並び、厳しい要求が続く。読みながら胸が重くなり、自分の失敗のゆえに神に罰せられるのではないかと、心配になってしまうのです。 けれども旧い契約は、主イエスの完成した御業というレンズを通して読まなければなりません。 「キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。『木にかけられる...
ギリシア語には、愛を表す言葉が四つあります。日本語には、ひとつしかありません。このささやかな違いが、歴史上のどんな神学論争にも劣らないほど、神についての誤解を生んできました。 夫が妻に「愛している」と言い、その同じ口で「ピザが大好きだ」と言う。日本語はどちらも同じ棚に並べてしまいます。ギリシア語はそうしません。ギリシア語には、神の愛だけを指す言葉があるのです。あまりに独特なので、初代のクリスチャン...
エペソ人への手紙には、はっきりとした設計図があります。 前半の三章は、あなたが何を持っているかを語ります。後半の三章は、あなたが何をするかを語ります。この順序に意味があります。「召にふさわしく歩きなさい」と告げられる前に、あなたはまず、キリストにあってどれほど富んでいるかを聞かされるのです。 パウロは、わたしたちの立ち位置を言い表すのに、ひとつの語を選びました。(kharitoō) χαριτόω...