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孤独に、聖書はどう答えるか

人でいっぱいの部屋にいながら、ひとりだと感じることがあります。人の行き交うオフィス、席の埋まった礼拝堂、家族が囲む食卓。それでも、隣の席だけがぽっかり空いているように思えるのです。孤独は、まわりに何人いるかで決まるものではありません。いま自分が立っている場所と、自分が本当に知られていると感じられる場所との、その隔たりのことなのです。 聖書はこの主題を避けません。詩篇にも、預言者の書にも、主イエスの...

神はわたしに失望しているのか

また、やってしまいました。そのとき真っ先に心をよぎったのは、失敗そのもののことではありませんでした。神のことでした。「きっと、神はわたしに失望しておられる」。 この一言は、信じる者なら誰しも、どこかの時点で胸の奥に抱えるものです。無神論者の堂々とした反論でもなく、神学者の議論でもありません。声に出さず、ひとりでしまい込んでおく恐れ——自分を救ってくださったその神が、今は自分を見て首を横に振っておら...

贖いは、あなたのすべてに届く

多くの信じる者は、イエスが自分の霊を贖ってくださったことを知っています。そのことを、私たちは喜び祝います。また、主がからだを癒やしてくださることも信じています。 けれども、その二つの間にある部分を、私たちはつい忘れてしまいます。心、すなわち思いです。 パウロは、一つの祈りの中にその三つをすべて並べています。 「あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに...

アガペーとは何か — 条件をつけない神の愛

ギリシア語には、愛を表す言葉が四つあります。日本語には、ひとつしかありません。このささやかな違いが、歴史上のどんな神学論争にも劣らないほど、神についての誤解を生んできました。 夫が妻に「愛している」と言い、その同じ口で「ピザが大好きだ」と言う。日本語はどちらも同じ棚に並べてしまいます。ギリシア語はそうしません。ギリシア語には、神の愛だけを指す言葉があるのです。あまりに独特なので、初代のクリスチャン...

譲り渡された権威

法的に、あるいは制度として見るとき、権威とは感じ取るものではなく、代表するものです。主イエスは「いっさいの権威」がご自分に与えられたと言われ、そのうえで、その立場をご自分に従う者たちに委ねられました。 「わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたので、あなたがたを害するものは、決して何もない」 ルカによる福音書 10:19 (口語訳) これは実務としての委譲...

至聖所のことば

わたしたちは、霊と魂と体という三つからなる者です。それは、古代の幕屋の姿をそのまま映しています。外庭は体、聖所は魂、そして至聖所は霊にあたります。 日々の暮らしの大半は、はじめの二つの場所で営まれています。体で感じることに目を向け、心で考えることに時間を費やす。けれども、異言をもって祈るとき、あなたは至聖所から――霊なる人として――神の前に立っているのです。 「しかし、愛する者たちよ。あなたがたは...

聖書が語る恐れ — 自由にする七つの真理

医者はパニック発作に薬を処方できます。カウンセラーは、思考の枠組みを組み替える術を教えてくれます。けれども聖書は、そのどちらにもできないことをします。恐れがどこから来たのか、だれがそれを打ち破ったのか、そしてなぜそれがもはやあなたの人生に立ち入る権利を持たないのかを、はっきり告げるのです。 恐れは、神が聖書の中で最も繰り返し語られた主題です。「恐れるな」という言葉は、聖書に三百六十五回以上出てきま...

セラ——立ち止まるという技

聖書は七十四回、ある言葉をさしはさみます。節の終わりに、たいていは括弧のなかに、ぽつりと置かれています。多くの人は脚注のように見て、そのまま通り過ぎてしまいます。けれども、もしその小さな一語が、聖書のなかで最も実践的な勧めだとしたら、どうでしょうか。 その言葉が「セラ」です。 詩篇に七十一回、ハバクク書に三回。ほかの書には一度も出てきません。預言者も説明せず、使徒も定義しません。それでいて、この語...

主が今も指摘なさる二つのこと

主イエスは、エマオの途上の弟子たちに、道徳や努力の話をなさいませんでした。もっと深いところに語りかけられました。 「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ」 ルカによる福音書 24:25 (口語訳) 指摘は二つ。そして、それは今も変わりません。 愚かさ — 頭の出来が足りなかったからではありません。すでに手にしていた聖書を、彼ら自身が分かっていなかったからで...

心で信じ、口で語る

信仰とは、自分で奮い立たせようとする感情ではありません。信仰は天の通貨であり、ひとつの一致です——心で信じ、口で語る、その重なりです。 パウロは、飾らずにこう言います。 「みことばは、あなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある」ローマ人への手紙 10:8 (口語訳) これは、神ご自身の働き方でもあります。創造のとき、神は闇について論評はなさいませんでした。 「神は『光あれ』と言われた。...

あなたの価値を決めたのは、十字架です

肩書きは、一度の面談で変わります。関係は、一度の会話で終わります。積み上げた読者も、アルゴリズムが一度変われば消えてしまいます。自分の値打ちがそのどれかに乗っているなら、足もとの土台は動き続けていることになります。 聖書は、人の価値という問いを宙ぶらりんにしません。いちばん初めに——創世記1章で答え、そしてもう一度、十字架で答えます。あなたが何かを成し遂げるより先に、神はあなたの値打ちを宣言され、...

遅い時間が、人を強くする

神が私たちのうちでなさる最も大切な働きは、しばしば、私たちが「霊的」とは決して呼ばない場所で起こります。赤信号、長い行列、のろのろと進む前の車、そして、その日に思い描いていた歩調をあっさり崩してしまう思いがけない中断の中で。 科学は今、聖書がずっとほのめかしてきたことを裏づけています。急ぎ、張りつめた暮らしは、体をすり減らしていきます。けれども、静かで急がない心は、長く保たれるのです。 箴言は、ご...

ダビデが開かなかった部屋

私たちの心には、できれば閉じたままにしておきたい部屋があります。触れられたくない、名前をつけられたくない、覗かれたくない場所です。 ダビデもまた、それを知っていました。 彼はほとんどすべてを神のもとへ携えていきました。恐れも、怒りも、受けた不当な仕打ちも、失望も、混乱も、そしていちばん暗い感情までも。 「主よ、いつまでなのですか。とこしえにわたしをお忘れになるのですか。」詩篇 13:1 (口語訳)...

シャロームの本当の意味

私たちはつい、「平安」を胸の内の静けさだけに縮めてしまいます。もちろん、それも平安の一部ではあります。けれども聖書が語る平安は、もっと力強いものです。ヘブライ語の (シャローム) שָׁלוֹם について学者に尋ねてみれば、これは内側の感情を指すだけの言葉ではない、と答えるでしょう。 Mounce’s Complete Expository Dictionary によれば、(シャローム) שָׁל...

真理という定規

上の画像を、じっと見つめてみてください。 目は、線が傾いていると告げます。列は歪み、片方の端は沈み、もう片方は持ち上がっている——そう見えます。頭の中では、この模様はゆがんで不揃いだと、すっかり信じ込んでいます。 けれども、その横の線のどれか一本に定規を当ててみると、驚くべきことが分かります。どの線も、寸分の狂いなくまっすぐなのです。 目は、あなたに嘘をついています。見えているものは、確かに見えて...

うつと聖書——あなたは信仰の失格者ではありません

火曜日、エリヤは天から火を呼び下ろしました。その翌日には、木の下に座り込み、神に「もう死なせてください」と願ったのです。 これは信仰の弱さの物語ではありません。生身の体を持ち、限界を抱えた、ひとりの本物の預言者の物語です。聖書はその一部始終を書き残しました——エリヤに恥をかかせるためではなく、神の民が底を打ったとき、神が何をなさるかを見せるためです。 神は説教をなさいません。みことばを投げつけて叱...

悔改めとは、心の向きが変わること

悔改めとは、言葉づかいの問題ではありません。心が動くことです。 ペテロが罪のゆるしを語ったとき、「さあ、悔い改めなさい」とは言いませんでした。それでも聖書は、こう記しています。 「神は異邦人にも命にいたる悔改めをお与えになったのだ」使徒行伝 11:18 (口語訳) どのようにして、でしょうか。福音を聞くことによって、です。 悔改め、すなわち (メタノイア) μετάνοια — 「心の向きが変わる...

あなたの思いも救いの外ではありません

多くの人は、霊の救いと体のいやしについては熱心に語ります。けれども思いについては、衰えていくのが当たり前だと受け入れてしまいます。まるで、そこだけは神が手をつけずに残されたかのように。 けれども聖書は、まさにその領域について、はっきりと語っています。 「しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。」コリント人への第一の手紙 2:16 (口語訳) ここで「思い」と訳されている語は (ヌース) ν...

あなたは、感情ではありません

わたしたちの多くは、感情こそが自分の一番深いところにある本当の姿だと思って生きています。けれども、これを覚えておいてください。 あなたは霊です。あなたはたましい(思いと感情)を持っています。あなたはからだに住んでいます。 パウロはこう書いています。 「あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。」テサロニケ人...

救いは、あなたが思うより大きい

「救い」と聞くと、多くの人は死んだ後に行く天国を思い浮かべます。けれども、救いはそれよりもはるかに大きなものです。 ギリシア語の (ソーテーリア) σωτηρία は、救出、全きこと、いやし、保全、解放を意味します。主イエスは、あなたの一部分を改善するために来られたのではありません。あなたのすべてを贖うために来てくださったのです。 長血をわずらう女が主イエスにさわったとき、主はこう言われました。...