20件の記事が見つかりました
それでも、子どもに御言を届けましょう
ある父親が、九歳の息子の隣に腰を下ろします。息子は大好きなテレビ番組に見入っています。決められたテレビの時間なので、父親はテレビを消しません。 父親は聖書を開き、マタイによる福音書4章、荒野での試みの場面を息子に見せます。悪魔が口を開くたびに、イエスは同じ言葉で答えられます。「……と書いてある」。 「すると試みる者がきて言った、『もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごら...
検索語: “現実”
20件の記事が見つかりました
ある父親が、九歳の息子の隣に腰を下ろします。息子は大好きなテレビ番組に見入っています。決められたテレビの時間なので、父親はテレビを消しません。 父親は聖書を開き、マタイによる福音書4章、荒野での試みの場面を息子に見せます。悪魔が口を開くたびに、イエスは同じ言葉で答えられます。「……と書いてある」。 「すると試みる者がきて言った、『もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごら...
朝6時40分、ひとりの女性が目を覚まし、足が床に触れるより先にスマートフォンへ手を伸ばします。朝食の頃には、四十件の投稿と、新しいウイルスについての見出しを二つ、そして見知らぬ誰かの政治をめぐる言い争いまで読み終えています。聖書はまだ開いていません。昼になる頃、心はずっしりと重くなっています。けれども、その理由は自分でもわかりません。 彼女の身に何かが起きたわけではありません。ただ、言葉を取り込ん...
ギデオンは酒ぶねの中に身を隠していました。モーセは「どうか、ほかの人を」と神に願いました。エレミヤは「わたしはまだ若い」と言いました。神に召された三人。そのだれもが、自分こそこの務めにふさわしくない人間だと思い込んでいたのです。 自信のなさは、現代に生まれた病ではありません。SNSや人事評価とともにやって来たものでもありません。それは堕落のときから人と共にありました。アダムとエバが神を避けて身を隠...
恐れは、たいてい正面の扉からは入ってきません。見ているもの、指先で流しているもの、心の中で何度も繰り返している言葉——そのすき間から、そっと忍び込みます。 そして気づかないうちに、望みは少しずつ痩せていきます。 パウロは、望みをあなたの武具の一部として語ります。 「救の望みのかぶとをかぶって」テサロニケ人への第一の手紙 5:8 (口語訳) かぶと、(クラノス) κράνος — 「かぶと」。つまり...
「繁栄」という言葉を聞くと、どこか落ち着かない気持ちになる人は少なくありません。強欲さや自分本位、あるいは上っ面だけの教えを思い浮かべてしまうからです。その警戒心のあまり、神の約束を霊的な領域だけに閉じ込めてしまう。神は霊において豊かにしてくださる、そこまでは信じられる。けれども、からだの健康や日々の必要については、どこか自信が持てないままなのです。 しかし使徒ヨハネは、愛する信徒たちのために、は...
サウルは人を恐れて、王座を失いました。ダビデは神に愛されていることを知っていたので、王座を保ちました。この二人の王を分けたものは、人の承認の上に築かれた人生と、神の受け入れの上に築かれた人生の違いです。 人に気に入られようとすること――それは性格の問題ではありません。霊のありようの問題であり、聖書はそこに正面から触れています。「人に取り入る者」を指すギリシア語から、世論に膝を折った王の物語まで、聖...
イスラエルは二度、水の中を、かわいた地の上に渡りました。 一度目は紅海。二度目はそれから四十年後、ヨルダン川。同じ神、同じ民、同じ奇跡です。水は立ち上がり、民は干上がった川底を歩いて渡りました。 ただ一点だけ、違いがあります。そして、それは小さな違いではありません。 紅海には、箱がありませんでした。ヨルダンでは、契約の箱が先に水の中へ入って行ったのです。 「見よ、全地の主の契約の箱が、あなたがたに...
エリシャの召使いは、危険を見ました。エリシャは、現実を見ました。 軍勢が町を取り囲んでいました。馬があり、戦車があり、兵士がいる。召使いは、うろたえました。 人の目から見れば、彼は正しかったのです。神の目から見れば、彼は半分しか見ていなかったのです。 エリシャは、短い祈りをささげました。 「主よ、どうぞ彼の目を開いて見させてください」 列王紀下 6:17 (口語訳) すると、ほんとうの世界が立ちあ...
私たちは情報があふれる時代に生きています。説教を聞き、ディボーションを読み、キリスト教のコンテンツを指先でたどっていきます。それなのに、学んだことをなかなか思い出せない。聞いたこと、読んだことの多くは、数日のうちに指の間からこぼれ落ちていきます。 説教を聞いて心に残るのは、およそ一割だと言われます。読めば二割に増えます。暗記すれば六割ほどになるかもしれません。けれども、八割から十割へと扉を開く黄金...
多くのクリスチャンが、「救われた」という言葉を知っています。けれども、その言葉の背後にあるギリシア語 — ソーゾー — が、同時に「いやされた」「救い出された」「全きものとされた」「守られた」という意味を持っていることを知る人は、それほど多くありません。一つの言葉が、そのすべてを抱えているのです。 これは小さなことではありません。神は初めから、救いをあなたのたましいのところで止めるおつもりなどなか...
十字架の上からイエスが最後に見たものの一つは、ご自分の衣をめぐってくじを引く兵卒たちの姿でした。 「そこで彼らは互に言った、『それを裂かないで、だれのものになるか、くじを引こう』。これは、『彼らは互にわたしの上着を分け合い、わたしの衣をくじ引にした』という聖書が成就するためであった。兵卒たちはそのようにしたのである。」 ヨハネによる福音書 19:24 (口語訳) すべてを所有しておられる方が、そこ...
頭が止まってくれません。夜、床に入ると、思いの群れが口々に叫び出します。交わした会話を何度も巻き戻し、まだ起きてもいない災いを予行演習し、存在してもいない問題を解こうとする。そして止めようとすればするほど、頭の中の音量は上がっていきます。 聖書には、この状態を指す言葉があります。いいえ、二つあります。 ギリシャ語の (メリムナオー) μεριμνάω — 「いくつにも分けられる」。十の方向へ引き裂...
今、信じる者と世との間でいちばん際立って見える違いのひとつは、老いをめぐる見方です。からだは弱り、記憶はかすみ、それはもうどうにもならない——世はそう言います。 けれども、この思い込みをくっきりと照らし出す三人の姿を、ご一緒に見ていきたいのです。 まずヨシュア。イスラエルを約束の地へ導き入れた指導者です。その生涯の終わりに近いころ、神はこう言われました。 「あなたは年が進んで老人となったが、取るべ...
人でいっぱいの部屋にいながら、ひとりだと感じることがあります。人の行き交うオフィス、席の埋まった礼拝堂、家族が囲む食卓。それでも、隣の席だけがぽっかり空いているように思えるのです。孤独は、まわりに何人いるかで決まるものではありません。いま自分が立っている場所と、自分が本当に知られていると感じられる場所との、その隔たりのことなのです。 聖書はこの主題を避けません。詩篇にも、預言者の書にも、主イエスの...
約束を読み違えた時制で受け取ると、しまい込む引き出しまで間違えてしまいます。 多くの信者が、ローマ人への手紙 8:11 でそれをしています。読んで、一瞬希望がわいて、それからその約束をまるごと未来へ押しやってしまう。「それは携挙のときの話でしょう」と。こうして、この御言葉は「いつの日か」と書かれた引き出しに眠り、火曜日の現実には指一本触れないままになります。 けれども、この節をよく見てください。...
また、やってしまいました。そのとき真っ先に心をよぎったのは、失敗そのもののことではありませんでした。神のことでした。「きっと、神はわたしに失望しておられる」。 この一言は、信じる者なら誰しも、どこかの時点で胸の奥に抱えるものです。無神論者の堂々とした反論でもなく、神学者の議論でもありません。声に出さず、ひとりでしまい込んでおく恐れ——自分を救ってくださったその神が、今は自分を見て首を横に振っておら...
ギリシア語には、愛を表す言葉が四つあります。日本語には、ひとつしかありません。このささやかな違いが、歴史上のどんな神学論争にも劣らないほど、神についての誤解を生んできました。 夫が妻に「愛している」と言い、その同じ口で「ピザが大好きだ」と言う。日本語はどちらも同じ棚に並べてしまいます。ギリシア語はそうしません。ギリシア語には、神の愛だけを指す言葉があるのです。あまりに独特なので、初代のクリスチャン...
多くの信仰者が、自分のどこが悪いのかを調べることに、たくさんの力を注いでいます。検査の数値。症状。痛みの度合い。調べれば調べるほど不安をあおる検索結果や、ChatGPT への問いかけ。 アブラハムは、違う生き方をしました。 「彼は信仰が弱らず、すでに死んだも同然の自分のからだを、じっと見つめることをしなかった。不信仰によって神の約束を疑い、ぐらつくことはなかった。」ローマ人への手紙 4:19–20...
医者はパニック発作に薬を処方できます。カウンセラーは、思考の枠組みを組み替える術を教えてくれます。けれども聖書は、そのどちらにもできないことをします。恐れがどこから来たのか、だれがそれを打ち破ったのか、そしてなぜそれがもはやあなたの人生に立ち入る権利を持たないのかを、はっきり告げるのです。 恐れは、神が聖書の中で最も繰り返し語られた主題です。「恐れるな」という言葉は、聖書に三百六十五回以上出てきま...
世は、輝いて見える場面ばかりを好みます。その裏にある代償を映すことは、めったにありません。 約束のないままの体の親しさは、はじめのうちこそ胸が高鳴ります。けれども、その後から現実が、問いと恐れを連れてやって来ます。眠れないまま、あの時間を何度も思い返す夜のことを、誰も前もって教えてはくれませんでした。 聖書はこう語ります。 「しかし、不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。」コリン...