心にかぶとを

恐れは、たいてい正面の扉からは入ってきません。
見ているもの、指先で流しているもの、心の中で何度も繰り返している言葉——そのすき間から、そっと忍び込みます。
そして気づかないうちに、望みは少しずつ痩せていきます。
パウロは、望みをあなたの武具の一部として語ります。
テサロニケ人への第一の手紙 5:8 (口語訳)
かぶと、(クラノス) κράνος — 「かぶと」。つまり、**思いを覆う守り**です。
救い、(ソーテーリア) σωτηρία — 「救い」。口語訳はここを「救の望み」と訳します。すなわち**望み**、良いものを待ち望む期待です。
けれども、世の騒がしさが神の言葉より大きくなるとき、かぶとはずり落ちます。
そして思いは、恵みが一度も導いたことのない場所へと迷い出ていくのです。
心の落ち込みは、弱さの問題であることよりも——
どこに目を注いでいるかの問題であることが多いのです。
聖書という錨なしには受けとめきれないはずの知らせを、そのまま抱え込んでしまった重さなのです。
御言葉は現実から目をそらしません。
現実の見え方を、造り変えます。
神が語られたことへ心を向け直したその瞬間から、望みはもう一度息を吹き返します。
あなたの思いは、いちばん広い場所を明け渡した声に、そのまま従っていきます。
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