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検索語: “勇気”

13件の記事が見つかりました

主よ、わたしの目を開いてください

エリシャの召使いは、危険を見ました。エリシャは、現実を見ました。 軍勢が町を取り囲んでいました。馬があり、戦車があり、兵士がいる。召使いは、うろたえました。 人の目から見れば、彼は正しかったのです。神の目から見れば、彼は半分しか見ていなかったのです。 エリシャは、短い祈りをささげました。 「主よ、どうぞ彼の目を開いて見させてください」 列王紀下 6:17 (口語訳) すると、ほんとうの世界が立ちあ...

聖書が語る恐れ — 自由にする七つの真理

医者はパニック発作に薬を処方できます。カウンセラーは、思考の枠組みを組み替える術を教えてくれます。けれども聖書は、そのどちらにもできないことをします。恐れがどこから来たのか、だれがそれを打ち破ったのか、そしてなぜそれがもはやあなたの人生に立ち入る権利を持たないのかを、はっきり告げるのです。 恐れは、神が聖書の中で最も繰り返し語られた主題です。「恐れるな」という言葉は、聖書に三百六十五回以上出てきま...

守るだけでは、忠実ではありません

わたしたちはしばしば、安全に守ることを忠実さと取り違えます。 ミナのたとえでは、ある身分の高い人が、王位を受けるために遠い国へ旅立ちます。出かける前に、僕たちに金を預け、はっきりとした言いつけを残しました。 「わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい」 ルカによる福音書 19:13 (口語訳) 帰ってきた主人は、僕たちを一人ずつ確かめます。最初の僕は、一ミナを十ミナにしていました。主人はこれを...

燃え尽きたあなたへ、休んでよいのです

天から火を呼び下した預言者がいました。四百五十人の偽預言者を相手に、国を挙げた対決に勝ちました。王の戦車を追い越して走りました。その翌日、彼は神に、わたしの命を取ってくださいと願いました。 それが燃え尽きです。才能の不足ではありません。信仰の不足でもありません。人格の破れでもありません。燃え尽きとは、注ぎ出す量が、注がれる量を超えたときに起こることです。そして聖書は、多くの人が思うよりもずっとやさ...

シャローム——「平和」では足りない

多くの人は、シャロームを「平和」と訳します。それは「家庭」を「建物」と訳すようなものです。間違いではありません。けれども、まだ足りません。 シャロームは、ヘブライ語聖書のなかでもっとも豊かな言葉のひとつです。旧約聖書に二百五十回以上あらわれます。日々のあいさつとして交わされ、軍勢の上に宣言され、預言者たちによって約束され、神ご自身の名にまで刻まれました。御使たちがイエスの誕生を告げたとき、ただ気分...

巨人は、あなたの糧

問題をどう見るかによって、その問題の中にとどまる時間の長さが決まります。 十二人の斥候が約束の地に入ったとき、そのうちの十人は震えながら戻ってきました。豊かな実りを見たのは確かです。けれども同時に、高い城壁と巨人たちも見てしまったのです。そして彼らは言いました。自分たちは、いなごのようだ、と。 ところが、ヨシュアとカレブの二人は、まったく同じ巨人を見ながら、まったく違う結論にたどり着きました。 「...

神があなたを高い場所に置く理由

エステルは王の前に恵みを受け、それを自分ではなく、他の人のために用いました。 エステルは、愛嬌や駆け引きで influence を手にしたのではありません。恵みが、彼女をそこまで運んだのです。 聖書はこう語ります。 「エステルはすべて彼女を見る者に喜ばれた。」エステル記 2:15 (口語訳) 恵みが彼女を高く上げ、あわれみが彼女を導きました。 彼女はその立場を、安らぎのためには使いませんでした。勇...

見えるものという罠

聖書の中で、これほど不思議な食い違いはそうありません。 ある時のエリヤは、カルメル山に立ち、天から火を呼び下し、一国の偽預言者たちを打ち破ります。恐れる影もありません。「わたしの仕える主、イスラエルの神は生きておられる」と言い切るその人は、目に見えない神を、まるで目の前にいるかのように意識していました。 ところがその直後、王妃イゼベルから脅しのことばが届くと、彼は命がけで逃げ出すのです。 「そこで...

共にいる者のほうが多い

光よりも闇に敏感な信者がいます。御使いよりも悪霊に詳しい信者がいます。約束よりも脅威に目のいく信者がいます。 けれども聖書は、別のことを告げます。 スリヤの軍勢を見て従者が震えたとき、エリシャはこう言いました。 「恐れることはない。われわれと共にいる者は彼らと共にいる者よりも多いのだから」 列王紀下 6:16 (口語訳) これは詩のような励ましではありません。まぎれもない現実です。 天は陰府にまさ...

安らぎは努力より雄弁に

わたしたちはつい、神もこの世と同じ言葉で語られると思い込みます。成績で、数字で、目に見える成果で測られるのだ、と。けれども、香油を主イエスの足に注いだあの女性を見つめられたとき、主はその犠牲もその労も、ほめてはおられません。 主はこう言われました。 「あなたの信仰があなたを救ったのです」 ルカによる福音書 7:50 (口語訳) 涙ではありません。香油でもありません。とがめるまなざしの満ちた部屋へ踏...

限界は、神の側にはありません

私たちはいつも、何か新しいものを待っています。突破口、思いがけない実り、どこか「向こう側」から降ってくる奇跡。そして足りないものばかりを数えます。お金が足りない、力量が足りない、影響力が足りない。だから答えは、外からやってくる大きな何かに違いないと思い込むのです。 けれども神は、まったく別の問いを立てられます。 「あなたの手にあるそれは何か」 出エジプト記 4:2 (口語訳) モーセが国家の危機を...

もう倒れた敵と戦わない

わたしたちが取り組んでいる相手は、すでに打ち負かされた敵です。敵が敗れていることを知らずにいると、その敵にまんまと欺かれてしまいます。 これはどんな場面にも当てはまります。いつでも、敗れた敵を見るのです。 ダビデの勇気は、一つの問いから生まれました。 「この割礼なきペリシテびとは何者なので、生ける神の軍をいどむのか」 サムエル記上 17:26 (口語訳) 彼は知っていたのです。自分たちには契約があ...

建てる人から、仕上げる人へ

わたしたちは、始まりが好きです。新しい思いが走り出すときの高鳴り。最初の一歩を踏み出すときの胸の躍り。「さあ、行こう」という熱。 けれども、主イエスはこう教えられました。 「あなたがたのうちで、だれかが邸宅を建てようと思うなら、それを仕上げるのに足りるだけの金を持っているかどうかを見るため、まずすわって、その費用を計算しないであろうか」 ルカによる福音書 14:28 (口語訳) 多くの夢が崩れるの...