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13件の記事が見つかりました

聖書は「考えすぎ」に何と言うか

頭が止まってくれません。夜、床に入ると、思いの群れが口々に叫び出します。交わした会話を何度も巻き戻し、まだ起きてもいない災いを予行演習し、存在してもいない問題を解こうとする。そして止めようとすればするほど、頭の中の音量は上がっていきます。 聖書には、この状態を指す言葉があります。いいえ、二つあります。 ギリシャ語の (メリムナオー) μεριμνάω — 「いくつにも分けられる」。十の方向へ引き裂...

からだは神の宮

敵の手口は、いつも決まっています。まず人を孤立させ、やがてその人自身の手で自分を損なわせるのです。マルコによる福音書五章は、ガダラ人の地で、墓場に住みついた一人の人の姿を伝えています。 「そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。」 マルコによる福音書 5:5 (口語訳) この人の状態には、三つのしるしがありました。ひとつは、人から離れて孤立していたこと。ひとつ...

贖いは、あなたのすべてに届く

多くの信じる者は、イエスが自分の霊を贖ってくださったことを知っています。そのことを、私たちは喜び祝います。また、主がからだを癒やしてくださることも信じています。 けれども、その二つの間にある部分を、私たちはつい忘れてしまいます。心、すなわち思いです。 パウロは、一つの祈りの中にその三つをすべて並べています。 「あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに...

労苦の呪いは終わりました

第一の園で、働きは呪いとなりました。アダムの堕落のゆえに、地は人に逆らうものとなり、実りは「顔に汗して」得るものとなったのです。ストレスも、不安も、重くのしかかる労苦も、その日に生まれました。 「あなたは顔に汗してパンを食べ」 創世記 3:19 (口語訳) 時をくだって、もうひとつの園があります。ゲツセマネです。そこで「第二のアダム」である主イエスは、受難の道を歩み始められました。祈っておられるう...

野の花よりも尊いあなた

私たちは人生の多くを、大きくなろうともがきながら過ごします。自分の背丈のこと、知恵のこと、行く末のこと。自分の手で安心を紡ぎ出し、自分の力で評判を積み上げようとします。 けれども主イエスは、それとはまったく別の道を指さされます。野の花の道です。 八福の丘の上、赤や黄の花に囲まれながら、主は一輪の花を手に取り、これがどう育っているか見てごらん、と言われました。夜更けまで働くわけでもなく、思いわずらう...

聖書が語る恐れ — 自由にする七つの真理

医者はパニック発作に薬を処方できます。カウンセラーは、思考の枠組みを組み替える術を教えてくれます。けれども聖書は、そのどちらにもできないことをします。恐れがどこから来たのか、だれがそれを打ち破ったのか、そしてなぜそれがもはやあなたの人生に立ち入る権利を持たないのかを、はっきり告げるのです。 恐れは、神が聖書の中で最も繰り返し語られた主題です。「恐れるな」という言葉は、聖書に三百六十五回以上出てきま...

性の妥協が残すもの

世は、輝いて見える場面ばかりを好みます。その裏にある代償を映すことは、めったにありません。 約束のないままの体の親しさは、はじめのうちこそ胸が高鳴ります。けれども、その後から現実が、問いと恐れを連れてやって来ます。眠れないまま、あの時間を何度も思い返す夜のことを、誰も前もって教えてはくれませんでした。 聖書はこう語ります。 「しかし、不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。」コリン...

すべての病に、そのいやしは届きます

イザヤ書53章は「霊的な」いやしだけを語っているのではないか。そう思いめぐらす信仰者がいます。あるいは、限られた種類の病だけを指しているのではないか、と考える人もいます。 イザヤはこう記しました。 「まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。」イザヤ書 53:4 (口語訳) ここで用いられているヘブライ語に、目を留めてみたいのです。 (ホリー) חֳלִי — 「病、疾患」……...

シャローム——「平和」では足りない

多くの人は、シャロームを「平和」と訳します。それは「家庭」を「建物」と訳すようなものです。間違いではありません。けれども、まだ足りません。 シャロームは、ヘブライ語聖書のなかでもっとも豊かな言葉のひとつです。旧約聖書に二百五十回以上あらわれます。日々のあいさつとして交わされ、軍勢の上に宣言され、預言者たちによって約束され、神ご自身の名にまで刻まれました。御使たちがイエスの誕生を告げたとき、ただ気分...

世界は狭くなったのに

SNSは世界をひとつにつなぎ、距離を縮めると約束しました。けれども実際に積み上がっているのは、重いうつが増え続けているという記録です。 パウロはテモテに、終わりの日には自分を愛する者、大言壮語する者、高慢な者が現れると警告しました。終わりのない流れを指でたどるとき、私たちが見ているのは、まさにその人間の誇りと「当然だ」という思いを、濃く煮詰めて並べた陳列にほかなりません。 「しかし、このことを知っ...

聖餐という守り

アダムが堕ちたとき、この世界にあるものが入り込みました。罪に対する、神の宣告です。それは体にも、心にも、被造物そのものにも及ぶ、こわれた有り様でした。 パウロはこう書いています。 「わたしたちがさばかれるのは、この世と共に罪に定められないために、主によって懲らしめられているのである」コリント人への第一の手紙 11:32 (NKJV より私訳) この世はすでに、罪に定められた下にあります。一人ひとり...

あがないは天国だけの話ではありません

死んだあと、人はどうなるのか。多くの人がそれを思い巡らしてきました。けれども主イエスは、死んだ後の永遠を確保するためだけに来られたのではありません。今、命をもたらすために来てくださいました。 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」ヨハネによる福音書 3:16 (口語訳) 永遠の命は、あなたが息を引き取る日に始...

平安が増し加わる道

多くの人が、もっと平安がほしい、もっと恵みを受けたいと願います。そして人の本能は、決まってこう尋ねます。「そのために、何をすればいいのか」と。 増やしたいなら、もっと努力するほかない——私たちはそう思い込んでいます。もっと自分を律し、もっと奉仕し、もっと時間を注ぐ。けれども聖書は、成長についてまったく別の道筋を示します。 「神とわたしたちの主イエスとを知ることによって、恵みと平安とが、あなたがたに...