金で舗装された道、と聞けば壮麗に響きます。けれども、よくよく考えれば、それはただの舗装です。
地上で私たちが追いかけてやまないものが、天ではただの床材なのです。
これは神の、やわらかな問いかけなのかもしれません。あなたが追っているのは、敷石ですか。それとも、その方ご自身ですか。

境遇の成功は、きらめきます。
人となりの成功は、造り変えます。

多くの人は、目に見えるものを追います。利益、喝采、次の節目。けれども神が求めておられるのは、取り繕うことのできないもの、すなわち、あなたがどんな人になっていくか、です。

そして、ここが肝心です。人となりの成功は、ほかのあらゆる祝福が育つ土壌です。

私たちは、騒がしさを価値と取り違えます。けれども——

きよさは、あなたの尊厳を取り戻します。
きよさとは、堅苦しい振る舞いのことではありません。自分が王の家の者であることを、思い出すことです。
あなたは王なる神の子どもです(ローマ人への手紙 8:14–17)。
肉の欲するままに歩き続ければ、王子らしさは少しずつ薄れ、やがて獣のような心地になっていきます。
きよさは、うつむいた顔を上げさせます。

実りは、いつも家庭から始まります。
イサクは、飢饉の年に百倍の収穫を得ました(創世記 26:12)。
けれども、もう少し近くで見てください。その収穫の前に、彼は妻を重んじ、争わずに譲り、井戸を奪った者たちを赦していました。
突破口は、会議室ではなく、居間から開くことがあるのです。

批判は試験であって、終着点ではありません。
ダビデにはサウルがいました。ヨセフには兄たちがいました。
けれども、型は決して変わりません。 「だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう」 ペテロの第一の手紙 5:6 (口語訳)
中傷に言い返せば、相手と同じ土俵に降りることになります。
その上を行けば、神の御手の中に置かれます。

人となりの成功こそ、あなたが本当に望むべき、高い道の成功です。