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備えの前に、すわる
世界はかつてないほど速く動いているのに、私たちの息はかえって詰まっていくようです。危機が来ると、私たちの本能はアクセルを踏むことです。もっと働き、もっとかき集め、とにかく動いて問題をねじ伏せようとします。けれども主イエスが示された順序は、それとは違いました。まずすわる。それから受け取る。 ヨハネによる福音書 6 章で、主は大勢の群衆を前にされます。手もとに食べ物はありません。けれども主は慌てもせず...
検索語: “豊かさ”
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世界はかつてないほど速く動いているのに、私たちの息はかえって詰まっていくようです。危機が来ると、私たちの本能はアクセルを踏むことです。もっと働き、もっとかき集め、とにかく動いて問題をねじ伏せようとします。けれども主イエスが示された順序は、それとは違いました。まずすわる。それから受け取る。 ヨハネによる福音書 6 章で、主は大勢の群衆を前にされます。手もとに食べ物はありません。けれども主は慌てもせず...
エペソ人への手紙には、はっきりとした設計図があります。 前半の三章は、あなたが何を持っているかを語ります。後半の三章は、あなたが何をするかを語ります。この順序に意味があります。「召にふさわしく歩きなさい」と告げられる前に、あなたはまず、キリストにあってどれほど富んでいるかを聞かされるのです。 パウロは、わたしたちの立ち位置を言い表すのに、ひとつの語を選びました。(kharitoō) χαριτόω...
主イエスが弟子たちをただされたとき、こうは言われませんでした。「どうしてもっと長く祈らなかったのか」とも「どうしてもっと努力しなかったのか」とも。 主が言われたのは、こうでした。 「ああ、信仰の薄い者たちよ。」マタイによる福音書 6:30 (口語訳) これは叱りつける言葉ではなく、むしろ愛のため息に近いのです。「わたしにはこんなに用意があるのに、あなたがたはこれほど少ししか受け取ろうとしないのか」...
ひとりの人が、自分の持ち物すべての十分の一を、ひとりの祭司に手渡しました。モーセの律法が与えられる四百年以上も前のことです。命令もなく、義務もなく、神殿もありません。あるのはただ、自分を救い出してくださった神への、感謝のこたえだけでした。 その人がアブラハム。そして祭司がメルキゼデクです。 十分の一をめぐる話は、たいてい義務から始まります。「ささげるべきですか」「ささげなければ神に罰せられますか」...
新しい季節は、しばしば嵐とともに始まります。世界を見渡せば、騒がしさばかりが目につきます。自分の状況に目をやれば、風の冷たさが肌に触れます。舟は荒れた海のただ中にあるように思え、不安が心を占めようとします。 けれども、嵐はあなたの行き先ではありません。 神がイスラエルをエジプトから救い出されたのは、彼らを荒野に置き去りにするためではありませんでした。ある特定の場所へ導き入れるために、救い出されたの...
多くの人は、シャロームを「平和」と訳します。それは「家庭」を「建物」と訳すようなものです。間違いではありません。けれども、まだ足りません。 シャロームは、ヘブライ語聖書のなかでもっとも豊かな言葉のひとつです。旧約聖書に二百五十回以上あらわれます。日々のあいさつとして交わされ、軍勢の上に宣言され、預言者たちによって約束され、神ご自身の名にまで刻まれました。御使たちがイエスの誕生を告げたとき、ただ気分...
多くの人は「恵み」を、受けるに値しない者への好意、と説明します。間違いではありません。けれども、まだ足りません。ローマを訪れて噴水をひとつ眺め、これが街のすべてだと言うようなものです。 新約聖書で「恵み」と訳されている言葉は (カリス) χάρις — 「恵み、好意、賜物」です。新約に百五十六回、百四十七の節に現れます。パウロが用い、ヨハネは福音書の序文をこの語を軸に組み立て、ルカはイエスの口から...
聖書は、供給ということを果樹のはたらきになぞらえて教えています。見上げるほどの大木も、もとをたどればたった一粒の種です。その小さな一粒の中に、その木のすべてが畳み込まれている。けれども、木として立つためには、種は地に蒔かれなければなりません。 「地のある限り、種まきの時も、刈入れの時も……やむことはないであろう」 創世記 8:22 (口語訳) 神は、私たちから取り上げる方ではありません。増やして与...
神は怒ってはおられません。救い、祝し、豊かないのちを与えようとしておられます。 神がいらだち、失望し、あなたにうんざりしておられる——そんな姿を思い描いているかぎり、安心して近づくことなど、とてもできません。 けれども主イエスは、その思い違いを正してくださいます。 「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。」 ヨハネによる福音書 10:10 (口語訳) 与えられるのは、豊かさで...
自分のための繁栄と、務めのための繁栄。この二つの間には、はっきりとした違いがあります。 繁栄という言葉は、しばしば欲深さや放縦と結びつけられ、評判がよくありません。けれども聖書において富とは、神との契約に基づく務めを果たすための道具なのです。 エジプトのヨセフを思い起こしてみましょう。パロは夢を見ました。七頭の肥えた雌牛と、七頭のやせた雌牛の夢です。神はヨセフにその解き明かしを与えられました。七年...