豊かさには目的がある

自分のための繁栄と、務めのための繁栄。この二つの間には、はっきりとした違いがあります。
繁栄という言葉は、しばしば欲深さや放縦と結びつけられ、評判がよくありません。けれども聖書において富とは、神との契約に基づく務めを果たすための道具なのです。
エジプトのヨセフを思い起こしてみましょう。パロは夢を見ました。七頭の肥えた雌牛と、七頭のやせた雌牛の夢です。神はヨセフにその解き明かしを与えられました。七年の豊作のあとに、七年の飢饉が来る、と。
ヨセフは夢を解き明かしただけではありませんでした。その解き明かしの上に、国の財政の方針を組み立てたのです。
ヨセフの知恵は、きわめて単純なものでした。豊かな年のうちに、五分の一(二十パーセント)を蓄えておくこと。
良い時に蓄えるという自制があったからこそ、飢饉が襲ったとき、彼らは全世界にいのちを供給する場所となりました。倉を満たすために栄えたのではありません。諸国の民を養うために栄えたのです。
これが、ヨセフの原則です。
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季節を見分けること。 余剰がいつまでも続くわけではありません。
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分を取り分けること。 十パーセントは神のもの(十分の一)、次の十から二十パーセントは将来のあなた自身のもの(貯蓄と投資)です。
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目的を見失わないこと。 目指すところは、世が干上がったときに差し出せる倉を、あらかじめ備えておくことです。
手の中に入ってくるものに対して賢くあることは、あなたに委ねられた責任です。見せびらかすためではありません。人々が飢えているそのときに、パンを持っている者となるためです。
自分が貧しいままでは、貧しい人を養うことはできません。
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