声を張るのをやめて、導く人になる

指導者たるもの、声が大きくなければならない——そんな思い込みがあります。私たちは強さと荒々しさを取り違え、静かさを弱さと決めつけてしまいます。映画の主人公が物を壊しながら危機を救う姿を見て、夫婦のあいだも、子どもとの関係も、部下との関わりも、そうやって扱うものだと思い込むのです。
けれども、力ずくで人の心が変わることは、めったにありません。変わるのは態度だけ、それも表向きのことです。
もし本当に誰かに影響を与えたいなら——「君たる者」であれ、上司であれ、連れ合いであれ——聖書は、私たちの予想を裏切る方法を差し出します。
やわらかな舌が、骨を砕く。これが霊的な影響力の力学です。
心が波立つとき、肉は肉で応じます。肉は肉を呼び起こすのです。こちらが声を張れば、相手も張り返す。こちらが押せば、相手も押し返す。行き着く先のない、エスカレートの繰り返しです。
本当の力は、(makrothumia) μακροθυμία — 「寛容、忍耐、怒るに遅いこと」のうちにあります。
やわらかくあるためには、途方もない強さが要ります。厳しい言葉に穏やかな言葉で返すには、自分を治める力が要ります。しかしその柔らかさこそが、相手の身構えをすり抜けて、良心に触れるのです。武器を下ろさせるのは、柔らかさです。
王の王であるイエスこそ、その極みの模範です。主は力ずくで歴史をこじ開けはなさいませんでした。僕として来られ、弟子たちの足を洗われました。そして主を打ち砕いた帝国が塵と化した今も、そのみことばは立ち続けています。
いちばん柔らかい水が、やがていちばん硬い岩を貫くのです。
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