建てる人から、仕上げる人へ

わたしたちは、始まりが好きです。
新しい思いが走り出すときの高鳴り。
最初の一歩を踏み出すときの胸の躍り。
「さあ、行こう」という熱。
けれども、主イエスはこう教えられました。
多くの夢が崩れるのは、志が大きすぎたからではありません。
これから担おうとしているものの重さの前に、腰を下ろして向き合う時間を、建てる人が持たなかったからです。
建てかけの家が崩れたのは、てっぺんの高さではありません。だれもすわらなかった、あの机の前でした。
計画することは、恐れではありません。
計画することは、疑いではありません。
計画することは、委ねられたものを大切に扱う務めです。
備えることによって、まだ見ぬ明日を重んじるのです。
ある操縦士が、肝を冷やすような進入のあとに、飛行機を無事に着陸させました。
降下していく途中、何かがおかしい——機体がわずかに傾いている。
そのまま進めば、脚が滑走路に引っかかり、機体は横転してしまう。
だから車輪が路面に触れたその瞬間、彼は機首を引き起こしました。
出力は全開。
そのまま空へ。
もう一度、はじめから。
二度目の進入は、なめらかでした。
客席から拍手が起こりました。
誰もが胸をなでおろしました。
惨事は避けられたのです。
のちに、どうしてあれほど速く決断できたのかと尋ねられ、
操縦士はこう答えました。
「あの決断を、わたしはきょう下したのではありません。
二十年前、訓練装置の中で下していたのです。
起こりうる不具合を、一つひとつ想定して練習してきました。
その瞬間が来るずっと前に、備えは終わっていたのです」
主イエスが言われたのは、まさにこのことです。
備えは悲観ではなく、愛です。
それは勇気です。
立ち上がる前にすわること——それが、召しを重んじるということです。
まことは、いたって単純です。
計画のない夢は、人々の前に戒めとして残ります——
けれども、備えに支えられた夢は、あかしとなります。
きょう、少し手を止めてください。
すわってください。
土台がまだ紙の上にあるうちに、耳の痛い問いを自分に向けてください。
信仰は建て、知恵は備え、その二つが仕上げます。
この記事が心に残りましたか。毎朝、こうした短いディボーションをメールでお届けします。
