ふつう、種をまいてから実を口にするまでには、長い隔たりがあります。ある季節にまき、別の季節に刈り取る。それが自然の順序です。けれども神は、その時間の隔たりそのものが畳み込まれる日について語られます。あまりに豊かな実りのゆえに、次の作付けをしている人が、今の収穫を집めている人と肩をぶつけ合う——そんな光景です。

「見よ、その日が来る、と主は言われる。その時、耕す者は刈る者に追いつき、ぶどうを踏む者は種をまく者に追いつく……」 アモス書 9:13 (NKJV より私訳)

これが加速です。あなたがより懸命に、より速く働くという話ではありません。実りの現れがあまりに速いので、季節と季節が重なってしまうのです。これこそ「安息の香り」と呼ばれるもの——(Nuach) נוּחַ — 「休む、静まる」。

自然界では、ものごとに時間がかかります。けれども恵みの世界では、ものごとは踵を接するように、次から次へと起こります。健康のことで、家族のことで、あるいは心のことで、あなたは何年も突破口を待ってきたかもしれません。けれども加速が始まるとき、回復は、あなたがなお主のうちに憩っている間に進んでいくのです。

「打ち場は麦で満ち、石がめは新しい酒と油とであふれる。わたしは、いなごが食い尽くした年々を、あなたがたに償う……」 ヨエル書 2:24-25 (NKJV より私訳)

目を向けるところどこにでも、祝福を見いだすことを期待してください。山々は甘いぶどう酒をしたたらせ、丘は乳を流します。待つ季節が終わり、現れる季節が始まるのです。

成長にはふつう時間がかかりますが、神の恵みは暦を意に介しません。