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聖書は「考えすぎ」に何と言うか

頭が止まってくれません。夜、床に入ると、思いの群れが口々に叫び出します。交わした会話を何度も巻き戻し、まだ起きてもいない災いを予行演習し、存在してもいない問題を解こうとする。そして止めようとすればするほど、頭の中の音量は上がっていきます。 聖書には、この状態を指す言葉があります。いいえ、二つあります。 ギリシャ語の (メリムナオー) μεριμνάω — 「いくつにも分けられる」。十の方向へ引き裂...

救は、いつも「今」

神は「おできになる」と信じることに、私たちはあまり苦労しません。難しいのは、「してくださる」と信じること、しかもそれを今信じることです。 けれども主イエスは、救を遠い未来に置かれたことがありません。いつも、その人の「今」の中に踏み込んでこられました。 足もとで震える女に向かって、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです」マルコによる福音書 5:34 (口語訳) 木の上のザアカイに向かって、「きょ...

この約束は携挙の話ではありません

約束を読み違えた時制で受け取ると、しまい込む引き出しまで間違えてしまいます。 多くの信者が、ローマ人への手紙 8:11 でそれをしています。読んで、一瞬希望がわいて、それからその約束をまるごと未来へ押しやってしまう。「それは携挙のときの話でしょう」と。こうして、この御言葉は「いつの日か」と書かれた引き出しに眠り、火曜日の現実には指一本触れないままになります。 けれども、この節をよく見てください。...

はがされた恥 — 主が着せてくださる衣

古代の戦において、王家の上着は、その人の身分と権威と、これから歩む未来とを語るものでした。ダビデがゴリアテを討ち取り、敵の首を手にして王の前に立ったとき、イスラエルの王子ヨナタンは、ためらうことなく、思い切ったことをします。 「ヨナタンは自分が着ていた上着を脱いでダビデに与えた。またそのいくさ衣、およびつるぎ、弓、帯までも、そうした。」サムエル記上 18:4 (口語訳) ヨナタンは、自分の身分を表...

聖書が語る恐れ — 自由にする七つの真理

医者はパニック発作に薬を処方できます。カウンセラーは、思考の枠組みを組み替える術を教えてくれます。けれども聖書は、そのどちらにもできないことをします。恐れがどこから来たのか、だれがそれを打ち破ったのか、そしてなぜそれがもはやあなたの人生に立ち入る権利を持たないのかを、はっきり告げるのです。 恐れは、神が聖書の中で最も繰り返し語られた主題です。「恐れるな」という言葉は、聖書に三百六十五回以上出てきま...

敵は全知ではありません

わたしたちは、悪魔をあまりに買いかぶりがちです。こちらの思いも、これからの歩みも、神が自分のために備えておられる具体的な計画も、すべて見透かされていると思い込んでしまいます。 そんなことはありません。 敵は神の対極に立つ存在ではありません。神は全知のお方です。けれども敵は、ただ観察しているにすぎません。あなたのことを知るために、あなたを見ているほかないのです。 この構図は、エデンの園で始まりました...

なぜビジョンが要るのか

信仰は天の通貨だ、とよく言われます。確かにそのとおりです。けれども、何を買うのか分からなければ、通貨は手の中で眠ったままです。 ヘブル人への手紙 11:1 は、信じるということの骨組みを見せてくれます。 「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」 ヘブル人への手紙 11:1 (口語訳) ここで「確信」と訳されている言葉は (ヒュポスタシス) ὑπόστασ...

悪しき日は、ただ一日

苦しい季節の只中にいると、それが永遠に続くように思えます。痛みや不安の中では、時間はいつもより重く、ゆっくりと流れていきます。 けれども聖書は、時について、まったく別の見方を差し出します。 エペソ人への手紙で、パウロは霊の戦いについてこう語ります。 「それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。」 エペソ人への手紙 6:13 (口語訳...

うつと聖書——あなたは信仰の失格者ではありません

火曜日、エリヤは天から火を呼び下ろしました。その翌日には、木の下に座り込み、神に「もう死なせてください」と願ったのです。 これは信仰の弱さの物語ではありません。生身の体を持ち、限界を抱えた、ひとりの本物の預言者の物語です。聖書はその一部始終を書き残しました——エリヤに恥をかかせるためではなく、神の民が底を打ったとき、神が何をなさるかを見せるためです。 神は説教をなさいません。みことばを投げつけて叱...

カリスとは何か——「恵み」の意味を一変させるギリシア語

多くの人は「恵み」を、受けるに値しない者への好意、と説明します。間違いではありません。けれども、まだ足りません。ローマを訪れて噴水をひとつ眺め、これが街のすべてだと言うようなものです。 新約聖書で「恵み」と訳されている言葉は (カリス) χάρις — 「恵み、好意、賜物」です。新約に百五十六回、百四十七の節に現れます。パウロが用い、ヨハネは福音書の序文をこの語を軸に組み立て、ルカはイエスの口から...

終わりの時は、いま

「終わりの時」と聞くと、憶測の種か、あるいは恐れの種として受け止める人が少なくありません。けれども主イエスは、この時代を見分けるための、はっきりと目に見えるしるしを与えてくださいました。戦争、戦争のうわさ、大きな地震、そして世界規模の疫病。主が挙げられたのは、まさに私たちが今日、日々の報道で目にしているものばかりです。 「また恐ろしい事や、天からの物すごい前兆があるであろう。」 ルカによる福音書...

その嵐は、あなたの物語ではありません

世界の出来事や政治、日々流れてくる見出しを眺めていると、何もかもが崩れていくように思えることがあります。 けれども、カイロス——(カイロス) καιρός — 「神が定めた時」、すなわち神が備えられた恵みの時——は、この世に約束されたものではありませんでした。それは神の民に約束されたものです。 主イエスは言われました。 「わたしの国はこの世のものではない。」ヨハネによる福音書 18:36 (口語訳...

聖書が語る赦し ― 恵みが与える自由

法廷と十字架は、同じことを語ります。負債は支払われた、と。違いがあるとすれば、十字架は、いつか信じるすべての人のために、その人が生まれる二千年も前に支払いを済ませたということです。 赦しは、自己啓発の棚から出てきた新しい思いつきではありません。聖書の中心にある出来事です。エデンから空の墓まで、聖書全体の流れは一つの出来事へ向かって進みます。神が人類の負債を帳消しにし、この勘定は済んだと宣言される出...

愛には、時があります

結婚がまだ遠い日にある恋は、いつのまにか、自分たちでは担いきれない道へと二人を連れて行きます。 人を慕う心そのものに、悪いところはありません。けれども、それが贈り物になるか、重荷になるかを決めるのは、時なのです。 約束を交わすにはまだ何年も早いのに、二つの心が結ばれてしまうと、その関係は自然と前へ前へと進んでいきます。二人が担える速さを、はるかに超えて。 はじめは、手をつなぐだけで胸が高鳴ります。...

過去は恵みを縛れない

ヨセフは、何も持たずにエジプトへ入りました。自由もなく。身分もなく。自分の未来を決める権利さえありませんでした。 けれども、彼にはひとつだけ、すべてを変えるものがありました。 「主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり」創世記 39:2 (口語訳) 成功は、置かれた環境から生まれたのではありません。神が共におられることから生まれました。 神の恵みは、奴隷を家の管理者へと変え、管理者を人を導...

先に行かれる神

私たちは、神が助け出してくださった苦しみについては、よく感謝します。けれども、そもそも足を踏み入れずに済んだ苦しみについて、感謝することはめったにありません。 神のご性質には、どこまでも先手を打つ一面があります。神はあなたの傍らを歩まれるだけではありません。あなたの前を歩いておられるのです。 「わが神はそのいつくしみをもって、わたしを迎えられる。」 詩篇 59:10 (口語訳) ここで「いつくしみ...

あなたの未来は守られている

あなたの未来が確かなのは、救いがあなたにではなく、キリストに支えられているからです。 人の努力の上に立つ希望は、もろいものです。けれども感謝なことに、信じる者は恐れではなく喜びをもって、先を見つめることができます。 パウロはこう書いています。 「神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる」ローマ人への手紙 5:2 (口語訳) おののくのではなく、喜ぶ。ぐらつく不安ではなく、確かな望み。 なぜでしょう...

キリストにあるあなたは誰か——恵みが定めた30の真実

人は一生をかけて「何者か」になろうとします。けれども福音は、あなたはすでにそうなのだ、と告げます。 救われたとき、あなたが受け取ったのは課題ではありません。新しい身分です。神は「ふさわしい者になりなさい」と、やるべきことの一覧を手渡されたのではありません。あなたをキリストのうちに置き、「すべては終った」と言われたのです。 問題は、多くの信じる者がなお古い身分から生きていることです。すでに受け入れら...

期待しないほうが、安全ですか

世の中はこう言います。「あまり期待しないほうがいいよ」。その言葉は、あなたを守るために差し出されます。期待を低く抑えておけば、うまくいかなかったときに落胆せずにすむ——そう考えるからです。 けれども聖書は、まるで逆のことを語ります。「救の望みのかぶと」をかぶりなさい、と。 ギリシア語で「望み」はこの言葉です。(エルピス) ἐλπίς — 「良いことが来るという、確信に満ちた喜ばしい期待」 それは願...

携挙——主が教会を迎えに来られる時

聖書は、世が暗くなればなるほど、神の民はいよいよ輝くと告げています。 「見よ、暗きは地をおおい、やみはもろもろの民をおおう。しかし、あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、主の栄光があなたの上にあらわれる。」イザヤ書 60:2 (口語訳) そして聖書は、息をのむような一つの瞬間を指し示します。 「わたしたちすべては、眠り続けるのではない。……またたく間に、一瞬にして変えられる。」コリント人への第一...