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頭で読むか、心で読むか
聖書を開き、山のような知識を積み上げながら、その著者にはついに出会わない——そういうことが起こり得ます。神学校を優秀な成績で卒業し、頭は満ち足りているのに、心は空っぽのまま、ということも。 聖書は「知識は人を誇らせ」ると告げます(コリント人への第一の手紙 8:1 口語訳より)。誇らせるのが知識なら、人を建て上げるのは啓示です。その違いは頭の良し悪しにあるのではありません。心の姿勢にあるのです。 「...
検索語: “心の姿勢”
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聖書を開き、山のような知識を積み上げながら、その著者にはついに出会わない——そういうことが起こり得ます。神学校を優秀な成績で卒業し、頭は満ち足りているのに、心は空っぽのまま、ということも。 聖書は「知識は人を誇らせ」ると告げます(コリント人への第一の手紙 8:1 口語訳より)。誇らせるのが知識なら、人を建て上げるのは啓示です。その違いは頭の良し悪しにあるのではありません。心の姿勢にあるのです。 「...
啓示は、自動的に与えられるものではありません。それは、関係の中で与えられるものです。 聖書を読んでいるのに、何も見えてこない。パウロは、その理由をこう語ります。 「おおいが彼らの心にかかっている。」 コリント人への第二の手紙 3:15 (口語訳) 目ではありません。心です。 そして、そのおおいは、読み方の工夫で取れるものではありません。気のきいた発見でもなく、信仰の成熟でもありません。 パウロはこ...
十字架の究極の目的は、何でしょうか。 多くの人は「赦し」と答えるでしょう。あるいは「天国」と答えるかもしれません。けれどもヘブル書の著者は、霊的な成熟をはかる、大胆なものさしを差し出します。もはや罪の意識がない、というものさしです。 「儀式にたずさわる者たちは、一度きよめられた以上、もはや罪の意識がなくなるのであるから」 ヘブル人への手紙 10:2 (口語訳) 宗教は、あなたが自分の汚れをたえず意...