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満ち足りた生涯の力
使徒パウロは、死を、いつ襲いかかってくるか分からない予測不能の敵とは見ていませんでした。突然の事故や不治の病におびえて生きることもありませんでした。彼はこの世を去ることを、自分で選び取るものとして語ったのです。 ローマの獄中から、彼は二つの道を秤にかけました。 「わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっている。わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、その方がはるかに...
検索語: “力”
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使徒パウロは、死を、いつ襲いかかってくるか分からない予測不能の敵とは見ていませんでした。突然の事故や不治の病におびえて生きることもありませんでした。彼はこの世を去ることを、自分で選び取るものとして語ったのです。 ローマの獄中から、彼は二つの道を秤にかけました。 「わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっている。わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、その方がはるかに...
見知らぬ国を、長い時間かけて車で走っていると想像してみてください。体は疲れ、肩には力が入り、目は宿を探しています。曲がるところを間違えたのではないか——そう思ってはカーナビを確かめ、また確かめる。体の緊張はじわじわと高まっていきます。ところがふと顔を上げると、宿はすぐ目の前にあるのです。車はもう、その車寄せに止まっている。着いていたのです。 その瞬間、こわばりがすっと抜けていきます。探すのをやめ、...
いちばん深い戦いは、病そのものではないことがあります。自分の心に、自分でかけている重圧のほうが、ずっと苦しいのです。 癒されたい一心で、私たちは力み始めます。告白は足りていただろうか。正しく信じられているだろうか。祈りの時間は十分だっただろうか。 そうして力んでいるうちに、いつのまにか安息が消えてしまうのです。 けれども聖書は、私たちに必要な唯一の努力は、安息にはいることだと思い起こさせます。 「...
頭が止まってくれません。夜、床に入ると、思いの群れが口々に叫び出します。交わした会話を何度も巻き戻し、まだ起きてもいない災いを予行演習し、存在してもいない問題を解こうとする。そして止めようとすればするほど、頭の中の音量は上がっていきます。 聖書には、この状態を指す言葉があります。いいえ、二つあります。 ギリシャ語の (メリムナオー) μεριμνάω — 「いくつにも分けられる」。十の方向へ引き裂...
律法主義の説教は、圧力と脅しを頼りにします。要求すれば従うようになる、という前提です。けれども人の性は、その反対を証ししています。外から押しつけられた規則は、服従よりもむしろ反発を呼び起こすのです。 心の本当の変化は、値なしに与えられる神の恵みが示されるときに起こります。 「それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことを知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。」 ローマ人への手紙 2...
踊ることは本能です。喜びを表すようにと神が造られたのです。ただ、その向き先と安全は大切です。 子どもに踊り方を教える必要はありません。音楽を鳴らせば、内側にあるものが自然に動きだします。 ダビデもそうでした。 「ダビデは力をきわめて、主の前に踊った」 サムエル記下 6:14 (口語訳) 喜びは、神が私たちの内に組み込んでくださったものです。けれども神は、その喜びがどこへ向かうかをも心にかけておられ...
影には実体がありません。犬の影に噛まれることはなく、剣の影に切られることもありません。見た目はいかにも恐ろしくても、傷つける力は持っていないのです。 多くの信者が、暗い谷のような試練の中を歩きます。体の病、家庭の問題、仕事の重圧。そんなとき、敵はあなたに「もう逃げ場はない」と思わせたがります。けれども詩篇の作者ダビデは、私たちの見方を変える一つの約束を書き残しました。 「たといわたしは死の陰の谷を...
ヨセフは十七歳で夢を見ることができました。けれども夢を解き明かせるようになったのは、誘惑を退けた後のことです。 夢を見ることは、賜物です。解き明かすことは、成熟です。 ヨセフは若い日に幻を見ました。けれども、その意味は分かっていませんでした。ポテパルの妻に「いいえ」と言ったとき——誘惑が彼を試したその後で——聖書は初めて、彼が夢を解き明かす姿を記します。 「ヨセフは彼らに言った、『解き明かしは神に...
今、信じる者と世との間でいちばん際立って見える違いのひとつは、老いをめぐる見方です。からだは弱り、記憶はかすみ、それはもうどうにもならない——世はそう言います。 けれども、この思い込みをくっきりと照らし出す三人の姿を、ご一緒に見ていきたいのです。 まずヨシュア。イスラエルを約束の地へ導き入れた指導者です。その生涯の終わりに近いころ、神はこう言われました。 「あなたは年が進んで老人となったが、取るべ...
わたしたちはしばしば、神のみもとへ行く前に、自分を強くしようとします。もっと蓄えを増やし、もっと知恵を磨き、もっと健康を整えなければ、神のお役には立てない——そう思い込むのです。けれども神は、まったく別の原理でお働きになります。世が「無きに等しい」と見なすものを用いて、世が「たいしたもの」と誇るものを、砕いてしまわれるのです。 パウロは、この神のご計画をコリントの人々への手紙の中で説き明かしていま...
人でいっぱいの部屋にいながら、ひとりだと感じることがあります。人の行き交うオフィス、席の埋まった礼拝堂、家族が囲む食卓。それでも、隣の席だけがぽっかり空いているように思えるのです。孤独は、まわりに何人いるかで決まるものではありません。いま自分が立っている場所と、自分が本当に知られていると感じられる場所との、その隔たりのことなのです。 聖書はこの主題を避けません。詩篇にも、預言者の書にも、主イエスの...
約束を読み違えた時制で受け取ると、しまい込む引き出しまで間違えてしまいます。 多くの信者が、ローマ人への手紙 8:11 でそれをしています。読んで、一瞬希望がわいて、それからその約束をまるごと未来へ押しやってしまう。「それは携挙のときの話でしょう」と。こうして、この御言葉は「いつの日か」と書かれた引き出しに眠り、火曜日の現実には指一本触れないままになります。 けれども、この節をよく見てください。...
多くの人は、自分を奮い立たせることで神に従おうとします。もっと節制を、もっと努力を、もっと真心を、と。 けれども、真実はそれとは違うところにあります。 「神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。」ヨハネの第一の手紙 5:3 (口語訳) なぜ、むずかしくないのでしょうか。新しい契約は、シナイ山のような仕方で命じないからです。それはむしろ、医者が患...
創世記五章は、名前と数字が並ぶだけの、そっけない一覧のように見えます。アダムからノアまで、十の世代が記されているだけの章です。多くの読者は、洪水の物語に早く進みたくて、ここを読み飛ばしてしまいます。 けれども神は、この系図の中に一つのメッセージを隠しておられました。 ヘブライ語 (ʿivrit) עִבְרִית — 「ヘブライ語」では、名前そのものが意味を持っています。この十人の父祖たちの名を、...
多くの人は、エレミヤのこの一文を前半だけ引いて、そこで止まってしまいます。 「わたしはあなたの言葉を見いだして、それを食べました。あなたの言葉は、わたしに喜びとなり、心の楽しみとなりました。万軍の神、主よ、わたしはあなたの名をもってとなえられている者です」 エレミヤ書 15:16 (口語訳) この節には、二つの動きがあります。まず、彼は食べます。そのあとで、何かが立ち上がってくるのです。 エレミヤ...
まことのきよさは、努力ではなく、福音を信じるところから流れ出ます。 福音を抜きにしてきよくあろうとするのは、空気のないところで息をしようとするようなものです。本来そうであるはずのなかった苦しい格闘に、変わってしまいます。 パウロは、その源がどこにあるかを、まぎれもない言葉で示します。 「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだ...
主イエスを愛することと、主イエスを分かっていることとは、別のことです。 マグダラのマリヤは、深く主を愛していました。多くをゆるされた人でした。けれども復活の朝、彼女は香料を携えて墓へ来ました。亡骸に油を塗るための備えをして来たのです。心は献身で満ちていましたが、頭の中は死で占められていました。王を捜すべき朝に、彼女は遺体を捜していたのです。 ここでベタニヤのマリヤを思い起こしてみましょう。 主の足...
聖書において、油はただの調味料ではありません。それは聖霊と、その力を指し示すしるしです。 ヤコブの手紙には、病んでいる人に油を注いで祈る場面があります。癒すのは油そのものではありません。その油が指し示している、御霊の力です。 けれども御霊は、癒すだけのお方ではありません。守ってくださるお方でもあります。聖書はこう語ります。 「あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救...
聖書が何と言っているかを知ることと、聖書がだれに向かって語っているかを知ることとは、別のことです。 主イエスは、その働きの初めに、弟子たちを遣わすにあたって、はっきりとした指示をお与えになりました。 「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け」 マタイによる福音書 10:5-6 (口語訳) もし、この主ご自身のことばを、そのまま今日のわたし...
また、やってしまいました。そのとき真っ先に心をよぎったのは、失敗そのもののことではありませんでした。神のことでした。「きっと、神はわたしに失望しておられる」。 この一言は、信じる者なら誰しも、どこかの時点で胸の奥に抱えるものです。無神論者の堂々とした反論でもなく、神学者の議論でもありません。声に出さず、ひとりでしまい込んでおく恐れ——自分を救ってくださったその神が、今は自分を見て首を横に振っておら...