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聖書は「考えすぎ」に何と言うか
頭が止まってくれません。夜、床に入ると、思いの群れが口々に叫び出します。交わした会話を何度も巻き戻し、まだ起きてもいない災いを予行演習し、存在してもいない問題を解こうとする。そして止めようとすればするほど、頭の中の音量は上がっていきます。 聖書には、この状態を指す言葉があります。いいえ、二つあります。 ギリシャ語の (メリムナオー) μεριμνάω — 「いくつにも分けられる」。十の方向へ引き裂...
検索語: “強さ”
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頭が止まってくれません。夜、床に入ると、思いの群れが口々に叫び出します。交わした会話を何度も巻き戻し、まだ起きてもいない災いを予行演習し、存在してもいない問題を解こうとする。そして止めようとすればするほど、頭の中の音量は上がっていきます。 聖書には、この状態を指す言葉があります。いいえ、二つあります。 ギリシャ語の (メリムナオー) μεριμνάω — 「いくつにも分けられる」。十の方向へ引き裂...
わたしたちはしばしば、神のみもとへ行く前に、自分を強くしようとします。もっと蓄えを増やし、もっと知恵を磨き、もっと健康を整えなければ、神のお役には立てない——そう思い込むのです。けれども神は、まったく別の原理でお働きになります。世が「無きに等しい」と見なすものを用いて、世が「たいしたもの」と誇るものを、砕いてしまわれるのです。 パウロは、この神のご計画をコリントの人々への手紙の中で説き明かしていま...
聖書は七十四回、ある言葉をさしはさみます。節の終わりに、たいていは括弧のなかに、ぽつりと置かれています。多くの人は脚注のように見て、そのまま通り過ぎてしまいます。けれども、もしその小さな一語が、聖書のなかで最も実践的な勧めだとしたら、どうでしょうか。 その言葉が「セラ」です。 詩篇に七十一回、ハバクク書に三回。ほかの書には一度も出てきません。預言者も説明せず、使徒も定義しません。それでいて、この語...
わたしたちの多くは、力ずくで自分を変えようとします。けれども主イエスは、まなざしによって、わたしたちを変えてくださいます。 パウロはこう言います。 「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」 コリント人への第二の手紙 3:18 (口語訳) 変化は、努力から生まれるのではありません。触れつづ...
天から火を呼び下した預言者がいました。四百五十人の偽預言者を相手に、国を挙げた対決に勝ちました。王の戦車を追い越して走りました。その翌日、彼は神に、わたしの命を取ってくださいと願いました。 それが燃え尽きです。才能の不足ではありません。信仰の不足でもありません。人格の破れでもありません。燃え尽きとは、注ぎ出す量が、注がれる量を超えたときに起こることです。そして聖書は、多くの人が思うよりもずっとやさ...
神が私たちのうちでなさる最も大切な働きは、しばしば、私たちが「霊的」とは決して呼ばない場所で起こります。赤信号、長い行列、のろのろと進む前の車、そして、その日に思い描いていた歩調をあっさり崩してしまう思いがけない中断の中で。 科学は今、聖書がずっとほのめかしてきたことを裏づけています。急ぎ、張りつめた暮らしは、体をすり減らしていきます。けれども、静かで急がない心は、長く保たれるのです。 箴言は、ご...
私たちの心には、できれば閉じたままにしておきたい部屋があります。触れられたくない、名前をつけられたくない、覗かれたくない場所です。 ダビデもまた、それを知っていました。 彼はほとんどすべてを神のもとへ携えていきました。恐れも、怒りも、受けた不当な仕打ちも、失望も、混乱も、そしていちばん暗い感情までも。 「主よ、いつまでなのですか。とこしえにわたしをお忘れになるのですか。」詩篇 13:1 (口語訳)...
指導者たるもの、声が大きくなければならない——そんな思い込みがあります。私たちは強さと荒々しさを取り違え、静かさを弱さと決めつけてしまいます。映画の主人公が物を壊しながら危機を救う姿を見て、夫婦のあいだも、子どもとの関係も、部下との関わりも、そうやって扱うものだと思い込むのです。 けれども、力ずくで人の心が変わることは、めったにありません。変わるのは態度だけ、それも表向きのことです。 もし本当に誰...
人は一生をかけて「何者か」になろうとします。けれども福音は、あなたはすでにそうなのだ、と告げます。 救われたとき、あなたが受け取ったのは課題ではありません。新しい身分です。神は「ふさわしい者になりなさい」と、やるべきことの一覧を手渡されたのではありません。あなたをキリストのうちに置き、「すべては終った」と言われたのです。 問題は、多くの信じる者がなお古い身分から生きていることです。すでに受け入れら...
あなたのアイデンティティをめぐって、目に見えない争いが起きています。しかもそれは、あなたが生まれ出るその瞬間に、いちばん激しくなるのです。 創世記に、こんな場面があります。ラケルは出産の苦しみのなかで、命が尽きようとしていました。彼女は生まれたばかりの我が子を、自分の痛みという窓ごしに見つめます。そして名を呼びました。(ベン・オニ) בֶּן־אוֹנִי — 「わたしの悲しみの子」と。 誕生にと...
精神医学の教科書と福音書が、同じことを語っています。今この瞬間を生きなさい、と。違いは、福音書がそれを二千年も前に語っていたことです。 不安は新しいものではありません。SNSと二十四時間流れ続けるニュースが生んだ現代病でもありません。ダビデは詩篇にそれを書き残しました。エリヤは生涯最大の勝利の直後にそれを味わいました。パウロは日々それを背負っていました。主イエスさえ、ゲツセマネの園でその重みの下に...
「神の力」と聞くと、私たちはつい、海が二つに分かれ、天から火が下るような、目を見張る出来事を思い浮かべます。けれども使徒パウロがコロサイの信徒たちのために祈ったのは、それとは少し違うことでした。 彼が祈り求めたのは、彼らが「神の栄光の勢いにしたがって、あらゆる力によって強くされ」ることでした。 その次に続く言葉は、死人がよみがえるような話だろう——そう思うところです。ところがパウロは、神から来る強...
わたしたちは、とかく敵の側ばかりに目が利くようになります。問題を探し、「敵」を分析し、何がうまくいかなくなるだろうかと心を煩わせる。そういう癖が、いつのまにか身についてしまうのです。 けれども主イエスは、敵の力について、実に興味深い言い方をなさいました。 「わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは、決してない。」 ルカ...
主イエスは、こう言われませんでした。「あなたがたの失敗を記念するため、このように行いなさい」とは。あなたの状態を、とも。あなたの葛藤を、とも。 主が言われたのは、こうでした。 「わたしを記念するため、このように行いなさい」ルカによる福音書 22:19 (口語訳) いやしは、自分の弱さを見つめることからは流れ出しません。主の強さを見つめるところから、流れ出します。 裂かれ、破られ、血に染まったあの御...
恵みは、あなたが罪に「いいえ」と言う力を与えます。あなたは、もっと高いものへと招かれているからです。 自分が何者であり、どこに立っているかが分かるとき、罪は色あせます。誘惑が強く見えるのは、自分の立つ場所を忘れているときだけです。 ヨセフは、それを知っていました。ポテパルの妻の前に立ったとき、彼は自分の意志の強さに訴えませんでした。彼が拠りどころとしたのは、自分が何者であるかということでした。 「...
イスラエルは、カデシ・バルネアでの不信仰ののち、荒野を三十八年さまよいました。 「…戦う民の世代がことごとく絶え果てるまで…」申命記 2:14 (NKJV より私訳) 「戦う民」— (anshei hammilchamah) אַנְשֵׁי הַמִּלְחָמָה —「戦いの人々」とは、人の努力を表しています。祝福は、強さによって、鍛錬によって、成果によって手に入るのだという思いです。 そして...
パウロは信じる者のために祈るとき、楽な人生を願いませんでした。 彼が祈ったのは、力を与えられた心でした。 その祈りは、こう記されています。 「また、神の栄光の勢いにしたがって、あらゆる力をもって強くされ、何事も喜んで耐えかつ忍び、」 コロサイ人への手紙 1:11 (口語訳) 強さには、二つの向きがあります。 1. 忍耐 — 境遇に向かって 2. 寛容 — 人に向かって 喜びをもって — その両方に...