パウロは信じる者のために祈るとき、楽な人生を願いませんでした。
彼が祈ったのは、力を与えられた心でした。

その祈りは、こう記されています。

「また、神の栄光の勢いにしたがって、あらゆる力をもって強くされ、何事も喜んで耐えかつ忍び、」
コロサイ人への手紙 1:11 (口語訳)

強さには、二つの向きがあります。

1. 忍耐 — 境遇に向かって
2. 寛容 — 人に向かって
喜びをもって — その両方において

ここで「忍耐」と訳されている語は (ヒュポモネー) ὑπομονή — 「重荷の下にとどまり続ける力」、「寛容」と訳されている語は (マクロテューミア) μακροθυμία — 「人に対して怒りを遅くする心の広さ」です。口語訳も、この二つを別の言葉で訳し分けていますので、お手元の聖書で確かめてみてください。境遇に耐えることと、人に耐えることは、似ているようで別のものなのです。

これは、生まれつきの強さではありません。
聖霊が与えてくださる強さです。

聖霊は、あなたの内側に静かなしなやかさを育ててくださいます。重圧の下でも折れず、人に対して刺々しくならない、そういう落ち着きです。

その訓練は、時にまったく霊的に見えないことがあります。
渋滞、前を行くゆっくりした足どり、延びてしまった予定、頼んでもいない中断。そんな顔をしてやって来ます。

けれども、その一つひとつが小さな教室になり、神はそこであなたの内に確かなものを育てておられます。急がず、すぐには反応せず、けれども全体として崩れない、そういうものを。

あなたは試されているのではありません。
強くされているのです。

今日あなたを苛立たせているその場所こそ、神が明日の強さを形づくっておられる場所かもしれません。