父がつける名

あなたのアイデンティティをめぐって、目に見えない争いが起きています。しかもそれは、あなたが生まれ出るその瞬間に、いちばん激しくなるのです。
創世記に、こんな場面があります。ラケルは出産の苦しみのなかで、命が尽きようとしていました。彼女は生まれたばかりの我が子を、自分の痛みという窓ごしに見つめます。そして名を呼びました。(ベン・オニ) בֶּן־אוֹנִי — 「わたしの悲しみの子」と。
誕生にともなった傷によって、その子を定義したのです。自分が払った代償によって、その子を言い表したのです。
教会も、そして世もまた、ひとつの世代を、その苦しみによって名づけようとします。「失われた世代」「不安の世代」——そんな言葉をよく耳にします。動きが起これば、まずその困難に札を貼るのです。
けれども、父が立ち上がりました。
ヤコブはその名を受け入れませんでした。彼はその子を見つめ、悲しみというレッテルを取り消したのです。そして呼びました。(ベニヤミン) בִּנְיָמִין — 「右の手の子」と。
右の手とは、力の座であり、恵みの場所であり、強さの位置です。
神は今日も、ベニヤミンの世代を起こしておられます。世は状況を見て、悲しみの結末を予告するかもしれません。けれども父なる神は、あなたを見つめて、力を語られるのです。
あなたは、ここまで来るのに要した痛みの合計ではありません。あなたは、右の手の子です。
あなたの過去に、あなたを名づける権利はありません。その名を呼ぶことができるのは、あなたの父なる神だけです。
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