10件の記事が見つかりました
荒野の低木と、水辺の木
皮肉屋は、美しい部屋に通されると、まず埃を見つけます。 エレミヤ書は、二種類の人を並べて描きます。のろわれた人は、荒野に立つ乾いた低木のようだ、と。 「彼は荒野に育つ小さい木のように、何も良いことの来るのを見ない。荒野の、干上がった所に住み、人の住まない塩地におる。」 エレミヤ書 17:6 (口語訳) この人の悲劇がどこにあるか、心に留めてください。良いものは、ちゃんと届いているのです。ただ、それ...
検索語: “focus”
10件の記事が見つかりました
皮肉屋は、美しい部屋に通されると、まず埃を見つけます。 エレミヤ書は、二種類の人を並べて描きます。のろわれた人は、荒野に立つ乾いた低木のようだ、と。 「彼は荒野に育つ小さい木のように、何も良いことの来るのを見ない。荒野の、干上がった所に住み、人の住まない塩地におる。」 エレミヤ書 17:6 (口語訳) この人の悲劇がどこにあるか、心に留めてください。良いものは、ちゃんと届いているのです。ただ、それ...
旧約の時代、イスラエルの敵は収穫の時を待ち構えていました。作物が実ると、ミデアンびとが押し寄せて食糧を奪っていったのです。ギデオンが夜、酒ぶねの中で麦を打たなければならなかったのも、ただそれを隠すためでした。 ダビデには、自分たちの食糧を敵に渡すまいとした勇士たちがいました。その一人、シャンマという人は、レンズ豆の畑のただ中に立ちました。 「しかし彼はその地所の中に立って、これを防ぎ、ペリシテびと...
信仰は失敗を見ないふりをするのではありません。ただ、そこに目を据えつづけることをしないのです。 ペテロは、自分がしたことをよく知っていました。あの炭火を忘れてはいません。あの否認を忘れてはいません。あの鶏の声を忘れてはいません。 けれども、イエスが現れたとき、ペテロはあの場面を心の中で繰り返しませんでした。救い主だと、分かったのです。 「あれは主だ」 ヨハネによる福音書 21:7 (口語訳) 信仰...
群衆に気を取られていると、救い主を見落としてしまいます。 エリコの通りは騒然としていました。人の声、足音、物売りのざわめきが入り混じり、だれもが押し合いへし合いしながら、あの名高い教師をひと目見ようとしていたのです。 けれども、有名人を眺めることと、命綱を仰ぐことは、まるで別のことです。 ザアカイは背が低く、人々の肩越しに見ることができませんでした。しかし、その切実さが、彼に別の種類のまなざしを与...
教えによっては、信じる者を闇に敏感な人にしてしまいます。敵のことで頭がいっぱいになり、終わりの日を思って落ち着かず、悪魔が何をしているかばかり気にかけるのです。 荒野でイスラエルがへびにかまれたとき、神は「かまれた傷をよく調べなさい」とは言われませんでした。高く掲げられた青銅のへびを仰ぎ見なさい、と言われたのです。 「すべてへびにかまれた者は、その青銅のへびを仰いで見て生きた。」 民数記 21:9...
世は、血なまぐさいものを絶え間なく流し続けます。ニュースにも、スキャンダルにも、画面を埋めるドラマにも、それはあふれています。ソーシャルメディアは、他の人の人生だけが完璧に見える場所をつくり出し、私たちを比較と落ち込みの中に置き去りにします。 心を否定的なもので満たすとき、人はやがてそれを映し出すようになります。見つめるものに、人は似ていくのです。 「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡...
ヨシュアがイスラエルの指導者として立ったとき、目の前に広がっていたのは、堅固な城壁と巨人たちの住む土地でした。しかも自然の障害は最悪の状態にありました。ヨルダン川は岸いっぱいにあふれていたのです。 多くの指導者なら、戦の段取りや城壁の厚さに心を奪われたことでしょう。けれども神がヨシュアにお与えになった戦略は、まるで違っていました。巨人を研究せよ、とは言われなかったのです。みことばを深く学べ、と言わ...
わたしたちは、とかく敵の側ばかりに目が利くようになります。問題を探し、「敵」を分析し、何がうまくいかなくなるだろうかと心を煩わせる。そういう癖が、いつのまにか身についてしまうのです。 けれども主イエスは、敵の力について、実に興味深い言い方をなさいました。 「わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは、決してない。」 ルカ...
あなたが直面する最も大きな霊的な戦いは、行いの戦いではありません。それは、どこに目を注ぐかという戦いです。 霊的戦いとは、自分の従順のために戦うことだと、私たちはつい考えます。自分の行いを吟味し、自分の思いを見張り、基準に届いているかどうかを測ろうとします。けれども使徒パウロは、この戦いをまったく別のものとして描いています。 「もろもろの思弁と、神を知ることに逆らって立てられたあらゆる高ぶりとを打...
聖書の中で、これほど不思議な食い違いはそうありません。 ある時のエリヤは、カルメル山に立ち、天から火を呼び下し、一国の偽預言者たちを打ち破ります。恐れる影もありません。「わたしの仕える主、イスラエルの神は生きておられる」と言い切るその人は、目に見えない神を、まるで目の前にいるかのように意識していました。 ところがその直後、王妃イゼベルから脅しのことばが届くと、彼は命がけで逃げ出すのです。 「そこで...