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カイロスの意味とは?時計では測れない神の時
多くの人は時計に従って生きています。時間、締め切り、カレンダー。そうやって人生を測っています。けれども聖書は、時について別の言葉を使います。壁にかかった時計とは、何の関係もない言葉です。 その言葉が (カイロス) καιρός — 「定められた、恵みにかなった時」です。この一語を知ると、新約聖書のおもだった約束の読み方が変わります。 カイロスは分を数えません。時を刻むのではなく、時を告げます。神が...
検索語: “あふれ”
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多くの人は時計に従って生きています。時間、締め切り、カレンダー。そうやって人生を測っています。けれども聖書は、時について別の言葉を使います。壁にかかった時計とは、何の関係もない言葉です。 その言葉が (カイロス) καιρός — 「定められた、恵みにかなった時」です。この一語を知ると、新約聖書のおもだった約束の読み方が変わります。 カイロスは分を数えません。時を刻むのではなく、時を告げます。神が...
ひとりの少年が、枯れ葉を大きな籠にかき集めています。葉は軽いので、みるみるうちに山になり、籠はもう一杯に見えます。ところが少年は籠の中に入り、足で踏みつけます。葉は沈み、また入る余地ができます。もう一度かき集め、また満たし、また踏む。それから籠を揺すって葉を落ち着かせ、さらに足していきます。とうとう籠はもう一枚も受けつけず、山は縁からこぼれ落ちます。 主イエスが語られた収穫は、まさにこのとおりでし...
午前一時、ひとりの青年がベッドに横たわり、顔から十五センチのところにスマートフォンを掲げています。浜辺にいる女の子、友人の新しい車、行ったこともない街に住む見知らぬ誰かの部屋。指を滑らせ、いったん置き、また手に取り、また滑らせる。そして明日の朝、彼は今夜よりもう少し気分が沈んでいるのです。 彼は、他人を通して生きています。他人の目で世界を眺め、他人のいちばん良い瞬間と自分を並べてしまう。結果は目に...
私たちは情報があふれる時代に生きています。説教を聞き、ディボーションを読み、キリスト教のコンテンツを指先でたどっていきます。それなのに、学んだことをなかなか思い出せない。聞いたこと、読んだことの多くは、数日のうちに指の間からこぼれ落ちていきます。 説教を聞いて心に残るのは、およそ一割だと言われます。読めば二割に増えます。暗記すれば六割ほどになるかもしれません。けれども、八割から十割へと扉を開く黄金...
使徒パウロは、死を、いつ襲いかかってくるか分からない予測不能の敵とは見ていませんでした。突然の事故や不治の病におびえて生きることもありませんでした。彼はこの世を去ることを、自分で選び取るものとして語ったのです。 ローマの獄中から、彼は二つの道を秤にかけました。 「わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっている。わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、その方がはるかに...
人でいっぱいの部屋にいながら、ひとりだと感じることがあります。人の行き交うオフィス、席の埋まった礼拝堂、家族が囲む食卓。それでも、隣の席だけがぽっかり空いているように思えるのです。孤独は、まわりに何人いるかで決まるものではありません。いま自分が立っている場所と、自分が本当に知られていると感じられる場所との、その隔たりのことなのです。 聖書はこの主題を避けません。詩篇にも、預言者の書にも、主イエスの...
また、やってしまいました。そのとき真っ先に心をよぎったのは、失敗そのもののことではありませんでした。神のことでした。「きっと、神はわたしに失望しておられる」。 この一言は、信じる者なら誰しも、どこかの時点で胸の奥に抱えるものです。無神論者の堂々とした反論でもなく、神学者の議論でもありません。声に出さず、ひとりでしまい込んでおく恐れ——自分を救ってくださったその神が、今は自分を見て首を横に振っておら...
それは、いかにも立派な衝動に見えます。牛がつまずいた。神の箱が落ちようとしている。ウザは手を伸ばし、それを支えようとしました。そして、彼は死にました。なぜでしょうか。神が腹を立てられたのでしょうか。いいえ。ウザは、今日の私たちの多くが犯すのと同じ、致命的な思い違いをしていたのです。神は自分の助けを必要としている、と彼は思いました。神の栄光はもろく、人の力で支えてやらなければ倒れてしまう、と思ったの...
ギリシア語には、愛を表す言葉が四つあります。日本語には、ひとつしかありません。このささやかな違いが、歴史上のどんな神学論争にも劣らないほど、神についての誤解を生んできました。 夫が妻に「愛している」と言い、その同じ口で「ピザが大好きだ」と言う。日本語はどちらも同じ棚に並べてしまいます。ギリシア語はそうしません。ギリシア語には、神の愛だけを指す言葉があるのです。あまりに独特なので、初代のクリスチャン...
エペソ人への手紙には、はっきりとした設計図があります。 前半の三章は、あなたが何を持っているかを語ります。後半の三章は、あなたが何をするかを語ります。この順序に意味があります。「召にふさわしく歩きなさい」と告げられる前に、あなたはまず、キリストにあってどれほど富んでいるかを聞かされるのです。 パウロは、わたしたちの立ち位置を言い表すのに、ひとつの語を選びました。(kharitoō) χαριτόω...
ひとりの人が、自分の持ち物すべての十分の一を、ひとりの祭司に手渡しました。モーセの律法が与えられる四百年以上も前のことです。命令もなく、義務もなく、神殿もありません。あるのはただ、自分を救い出してくださった神への、感謝のこたえだけでした。 その人がアブラハム。そして祭司がメルキゼデクです。 十分の一をめぐる話は、たいてい義務から始まります。「ささげるべきですか」「ささげなければ神に罰せられますか」...
新しい季節は、しばしば嵐とともに始まります。世界を見渡せば、騒がしさばかりが目につきます。自分の状況に目をやれば、風の冷たさが肌に触れます。舟は荒れた海のただ中にあるように思え、不安が心を占めようとします。 けれども、嵐はあなたの行き先ではありません。 神がイスラエルをエジプトから救い出されたのは、彼らを荒野に置き去りにするためではありませんでした。ある特定の場所へ導き入れるために、救い出されたの...
聖書は七十四回、ある言葉をさしはさみます。節の終わりに、たいていは括弧のなかに、ぽつりと置かれています。多くの人は脚注のように見て、そのまま通り過ぎてしまいます。けれども、もしその小さな一語が、聖書のなかで最も実践的な勧めだとしたら、どうでしょうか。 その言葉が「セラ」です。 詩篇に七十一回、ハバクク書に三回。ほかの書には一度も出てきません。預言者も説明せず、使徒も定義しません。それでいて、この語...
自分の神への愛を、はかりにかけようとする人がいます。どれほど真実か、どれほど揺るがないか、どれほど強いか、と。 けれども聖書は、こう思い起こさせます。 「わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。」ヨハネの第一の手紙 4:19 (口語訳) ここで「愛する」と訳されている言葉は (agapaō) ἀγαπάω — 「価値を置く、尊ぶ」。愛とは義務ではない、ということです...
地質学の証拠と古代の記録は、聖書の語る全地を覆った洪水の記事を裏づけています。地質学者たちは、ヒマラヤの高峰の岩の中に、海の生き物の遺骸——骨格——が埋もれているのを記録してきました。この動かぬ事実が指し示しているのは、かつて水が、あれほど高い土地までも覆っていたということです。 この出来事の前、地球の大気は今とは違っていました。聖書は「おおぞら」、すなわち (ラキア) רָקִיעַ — 「広が...
肩書きは、一度の面談で変わります。関係は、一度の会話で終わります。積み上げた読者も、アルゴリズムが一度変われば消えてしまいます。自分の値打ちがそのどれかに乗っているなら、足もとの土台は動き続けていることになります。 聖書は、人の価値という問いを宙ぶらりんにしません。いちばん初めに——創世記1章で答え、そしてもう一度、十字架で答えます。あなたが何かを成し遂げるより先に、神はあなたの値打ちを宣言され、...
多くの人は、シャロームを「平和」と訳します。それは「家庭」を「建物」と訳すようなものです。間違いではありません。けれども、まだ足りません。 シャロームは、ヘブライ語聖書のなかでもっとも豊かな言葉のひとつです。旧約聖書に二百五十回以上あらわれます。日々のあいさつとして交わされ、軍勢の上に宣言され、預言者たちによって約束され、神ご自身の名にまで刻まれました。御使たちがイエスの誕生を告げたとき、ただ気分...
ふつう、種をまいてから実を口にするまでには、長い隔たりがあります。ある季節にまき、別の季節に刈り取る。それが自然の順序です。けれども神は、その時間の隔たりそのものが畳み込まれる日について語られます。あまりに豊かな実りのゆえに、次の作付けをしている人が、今の収穫を집めている人と肩をぶつけ合う——そんな光景です。 「見よ、その日が来る、と主は言われる。その時、耕す者は刈る者に追いつき、ぶどうを踏む者は...
悔改めとは、言葉づかいの問題ではありません。心が動くことです。 ペテロが罪のゆるしを語ったとき、「さあ、悔い改めなさい」とは言いませんでした。それでも聖書は、こう記しています。 「神は異邦人にも命にいたる悔改めをお与えになったのだ」使徒行伝 11:18 (口語訳) どのようにして、でしょうか。福音を聞くことによって、です。 悔改め、すなわち (メタノイア) μετάνοια — 「心の向きが変わる...
多くの人は「恵み」を、受けるに値しない者への好意、と説明します。間違いではありません。けれども、まだ足りません。ローマを訪れて噴水をひとつ眺め、これが街のすべてだと言うようなものです。 新約聖書で「恵み」と訳されている言葉は (カリス) χάρις — 「恵み、好意、賜物」です。新約に百五十六回、百四十七の節に現れます。パウロが用い、ヨハネは福音書の序文をこの語を軸に組み立て、ルカはイエスの口から...