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聖書は「考えすぎ」に何と言うか
頭が止まってくれません。夜、床に入ると、思いの群れが口々に叫び出します。交わした会話を何度も巻き戻し、まだ起きてもいない災いを予行演習し、存在してもいない問題を解こうとする。そして止めようとすればするほど、頭の中の音量は上がっていきます。 聖書には、この状態を指す言葉があります。いいえ、二つあります。 ギリシャ語の (メリムナオー) μεριμνάω — 「いくつにも分けられる」。十の方向へ引き裂...
検索語: “Peace”
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頭が止まってくれません。夜、床に入ると、思いの群れが口々に叫び出します。交わした会話を何度も巻き戻し、まだ起きてもいない災いを予行演習し、存在してもいない問題を解こうとする。そして止めようとすればするほど、頭の中の音量は上がっていきます。 聖書には、この状態を指す言葉があります。いいえ、二つあります。 ギリシャ語の (メリムナオー) μεριμνάω — 「いくつにも分けられる」。十の方向へ引き裂...
世界はかつてないほど速く動いているのに、私たちの息はかえって詰まっていくようです。危機が来ると、私たちの本能はアクセルを踏むことです。もっと働き、もっとかき集め、とにかく動いて問題をねじ伏せようとします。けれども主イエスが示された順序は、それとは違いました。まずすわる。それから受け取る。 ヨハネによる福音書 6 章で、主は大勢の群衆を前にされます。手もとに食べ物はありません。けれども主は慌てもせず...
第一の園で、働きは呪いとなりました。アダムの堕落のゆえに、地は人に逆らうものとなり、実りは「顔に汗して」得るものとなったのです。ストレスも、不安も、重くのしかかる労苦も、その日に生まれました。 「あなたは顔に汗してパンを食べ」 創世記 3:19 (口語訳) 時をくだって、もうひとつの園があります。ゲツセマネです。そこで「第二のアダム」である主イエスは、受難の道を歩み始められました。祈っておられるう...
私たちは人生の多くを、大きくなろうともがきながら過ごします。自分の背丈のこと、知恵のこと、行く末のこと。自分の手で安心を紡ぎ出し、自分の力で評判を積み上げようとします。 けれども主イエスは、それとはまったく別の道を指さされます。野の花の道です。 八福の丘の上、赤や黄の花に囲まれながら、主は一輪の花を手に取り、これがどう育っているか見てごらん、と言われました。夜更けまで働くわけでもなく、思いわずらう...
医者はパニック発作に薬を処方できます。カウンセラーは、思考の枠組みを組み替える術を教えてくれます。けれども聖書は、そのどちらにもできないことをします。恐れがどこから来たのか、だれがそれを打ち破ったのか、そしてなぜそれがもはやあなたの人生に立ち入る権利を持たないのかを、はっきり告げるのです。 恐れは、神が聖書の中で最も繰り返し語られた主題です。「恐れるな」という言葉は、聖書に三百六十五回以上出てきま...
長い語りかけの終わりに、イエスはひとつの、単純でありながら深いことをなさいます。ご自分の民を、安息をもって祝福されるのです。 何もしないでいることの安息ではありません。現実から目をそらすことの安息でもありません。信頼から生まれる安息です。 「信じたわたしたちは、その安息にはいるのです。」ヘブル人への手紙 4:3 (NKJV より私訳) 安息とは、心が恐れをくり返し思い描くのをやめる場所です。安息と...
船が港にいるとき、嵐が近づけば、船長は錨を下ろします。錨は重く、暗い水の中へと沈んでいき、やがて見えなくなります。それでも、いったん海の底にしっかり食い込めば、船は安全です。波にもまれ、船体は揺れるでしょう。けれども、沖へさらわれていくことはありません。 あなたのたましいにも、錨が要ります。聖書は、わたしたちの持つ望みは「幕の内」にまで入っていくと語ります。 「わたしたちは、この望みを、たましいの...
神が私たちのうちでなさる最も大切な働きは、しばしば、私たちが「霊的」とは決して呼ばない場所で起こります。赤信号、長い行列、のろのろと進む前の車、そして、その日に思い描いていた歩調をあっさり崩してしまう思いがけない中断の中で。 科学は今、聖書がずっとほのめかしてきたことを裏づけています。急ぎ、張りつめた暮らしは、体をすり減らしていきます。けれども、静かで急がない心は、長く保たれるのです。 箴言は、ご...
多くの人は、シャロームを「平和」と訳します。それは「家庭」を「建物」と訳すようなものです。間違いではありません。けれども、まだ足りません。 シャロームは、ヘブライ語聖書のなかでもっとも豊かな言葉のひとつです。旧約聖書に二百五十回以上あらわれます。日々のあいさつとして交わされ、軍勢の上に宣言され、預言者たちによって約束され、神ご自身の名にまで刻まれました。御使たちがイエスの誕生を告げたとき、ただ気分...
私たちはつい、「平安」を胸の内の静けさだけに縮めてしまいます。もちろん、それも平安の一部ではあります。けれども聖書が語る平安は、もっと力強いものです。ヘブライ語の (シャローム) שָׁלוֹם について学者に尋ねてみれば、これは内側の感情を指すだけの言葉ではない、と答えるでしょう。 Mounce’s Complete Expository Dictionary によれば、(シャローム) שָׁל...
私たちはしばしば、平安を「どこかにある目的地」のように思い描きます。 静かな海辺。森の中の小屋。扉を閉め、耳をふさいで、音を遮断した一室。私たちは平安を、どこかで見つけ出すものか、深呼吸と予定表の余白によって自分でつくり出すものだと考えています。 けれども主イエスは、「平安を探しに行きなさい」とは言われませんでした。 「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える」ヨハネ...
この世は「一番でなければ意味がない」「速いほうが勝ち」という仕組みで動いています。急がなければ機会を失う、と世はささやきます。誰もあなたを守ってはくれないから、自分の身は自分で守れ、と教えます。これがこの世の霊です。その土台にあるのは、骨の折れる労苦と、絶え間ない緊張です。 けれども、それとはまったく別の仕組みが与えられています。聖書は、わたしたちが神の霊を受けたのは、すでに与えられているものを悟...
多くの人が、もっと平安がほしい、もっと恵みを受けたいと願います。そして人の本能は、決まってこう尋ねます。「そのために、何をすればいいのか」と。 増やしたいなら、もっと努力するほかない——私たちはそう思い込んでいます。もっと自分を律し、もっと奉仕し、もっと時間を注ぐ。けれども聖書は、成長についてまったく別の道筋を示します。 「神とわたしたちの主イエスとを知ることによって、恵みと平安とが、あなたがたに...
「もし神が、わたしに愛想を尽かしておられたら。もし今度こそ、行き過ぎてしまったのなら。」 そんな思いが胸を離れないなら、この御言葉は、誓いをもって答えます。 「わたしは再びあなたを怒らない、またあなたを責めないと誓った。……わがいつくしみはあなたから移ることなく、わが平和の契約は動くことがない」イザヤ書 54:9–10 (口語訳) 神は、軽い気持ちでこれを約束されたのではありません。御子の成し遂げ...
誰かに不当な扱いを受けたとき、人がまず思うのは、傾いた天秤をもとに戻すことです。正義がほしい。事実をはっきりさせたい。理不尽さの重みを肌で感じながら、それを正そうとして、私たちは自分をすり減らしていきます。 けれども、神が見ていてくださると信じる人は、その仕事を下に置いて、休むことができます。 聖書は、はっとするようなことを語ります。あなたを悩ます者たちのことを神が取り扱ってくださる、それは正しい...
多くの人が、神はいまも自分を値踏みしておられると思いながら生きています。もっとよくなるのを待たれ、できばえを測られている、と。 けれども聖書は、それよりもはるかに強いことを告げます。 「わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている」ローマ人への手紙 5:1 (口語訳) ここで「平和」と訳されている語は (エイレーネー) εἰρήνη — 「平和、戦いの終わった和解の状態」です。敵...
神が七日目に休まれたのは、疲れ果てておられたからではありません。何ひとつ、やり残しがなかったからです。 創世記はこう記します。 > > 「神は第七日にその作業を終えられた。……そのすべての作業を終って第七日に休まれた」 > 創世記 2:2-3 (口語訳) > そしてヘブル人への手紙には、こうあります。 > > 「みわざは、世の基が置かれた時から、すでに成し終えられていた」 > ヘブル人への手紙 4...
わたしたちは何年もかけて「自分の召し」を探します。まるで目的というものが、職業選択や性格診断の下に埋められた宝物であるかのように。 けれども、友よ、ひとつだけお伝えしたいことがあります。 目的とは計画ではありません。目的とは、ひとりのお方です。 神を離れた人は、ぜんまいの抜けた時計のようです。美しく、精巧で、可能性に満ちている。けれども、動きません。才能も、知性も、夢も、弱さでさえも、みな精巧に組...
聖書は、くり返し私たちに「恐れるな」と語りかけます。けれども同時に、少し意外なことも告げています。聖なる恐れが、ひとつだけある、と。 ヘブル人への手紙は、こう記します。 「それだから、神の安息にはいるべき約束が、まだ存続しているのに、万一にも、はいりそこなう者が、あなたがたの中から出ることがないように、注意しようではないか」 ヘブル人への手紙 4:1 (口語訳) ここで「注意しよう」と訳されている...
イスラエルがレピデム——「休む所」という意味を持つ場所——に入ったとき、アマレクが来て戦いをしかけました(出エジプト記 17:8)。 アマレクという名は、(アーマール) עמל — 「労苦、疲れ、骨の折れる苦役」という語根から来ています。 この戦いは、ただ外の敵との戦いではありませんでした。 自分の力でやろうとする方へ引き戻す力との戦いだったのです。 モーセは丘の上に立ち、手を上げていました。 そ...