神が「恐れよ」と言われる、ただ一つのこと

聖書は、くり返し私たちに「恐れるな」と語りかけます。
けれども同時に、少し意外なことも告げています。聖なる恐れが、ひとつだけある、と。
ヘブル人への手紙は、こう記します。
ここで「注意しよう」と訳されている言葉は、原語では (フォベーソーメン) φοβηθῶμεν — 「恐れよう」です。口語訳はその心を「注意しようではないか」と、やわらかく言い表しました。つまり聖霊は、ここで一度だけ、私たちに恐れることを勧めておられるのです。
地上のどんな力も、目の前に立ちはだかるどんな脅威も、神は「恐れるな」と言われます。
けれども、安息については。
「これは、軽んじてはならない」と言われるのです。
なぜなら安息こそ、ほかのすべての祝福が流れ込んでくる入口だからです。
持ち続けるに値する恐れは、ただひとつ、平安を手放してしまうことへの恐れです。
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