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検索語: “杯”

17件の記事が見つかりました

レンズ豆の畑に立つ

ダビデには三十七人の勇士がいました。その名は、サムエル記下の終わりに、戦没者の碑のように並べられています。城門の攻防や、燃え上がる塔の物語を期待するところです。 ところが、そこに記されているのはこれです。 「彼の次はハラルびとアゲの子シャンマであった。ペリシテびとが一団となって集まったところに、レンズ豆の茂った地所があった。民はペリシテびとの前から逃げた。しかし彼はその畑の真ん中に身を置き、これを...

収穫を期待するのは欲でしょうか

ひとりの少年が、枯れ葉を大きな籠にかき集めています。葉は軽いので、みるみるうちに山になり、籠はもう一杯に見えます。ところが少年は籠の中に入り、足で踏みつけます。葉は沈み、また入る余地ができます。もう一度かき集め、また満たし、また踏む。それから籠を揺すって葉を落ち着かせ、さらに足していきます。とうとう籠はもう一枚も受けつけず、山は縁からこぼれ落ちます。 主イエスが語られた収穫は、まさにこのとおりでし...

らくだにも水を汲む人

夕暮れどき、旅に疲れた一人の男が井戸のそばに立っています。その後ろには十頭のらくだが膝を折っています。男は若い娘に、水を少し飲ませてほしいと頼みます。 たいていの人は水がめを傾けて男に飲ませ、そのまま家へ帰るでしょう。それで礼儀は果たせますし、それで十分です。 アブラハムのしもべは、その井戸でだれかに声をかけるより先に、神にしるしを求めました。そのしるしを、彼は心を砕いて選びました。決まった色の服...

多くの人が病む、ただ一つの理由

パウロは、はっとさせられることを書いています。ただ一つの理由が——たった一つが——多くの信者が弱り、病み、ついには眠りについた訳を説き明かしています。 「あなたがたの中に弱い者や病人が大ぜいおり、また眠った者も少なくないのは、そのためである」コリント人への第一の手紙 11:30 (口語訳) ギリシア語は、その点をはっきりと示しています。(ディア トゥート) διὰ τοῦτο — 「このゆえに」。...

がんばる信仰から、受ける信仰へ

多くの人は、自分を奮い立たせることで神に従おうとします。もっと節制を、もっと努力を、もっと真心を、と。 けれども、真実はそれとは違うところにあります。 「神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。」ヨハネの第一の手紙 5:3 (口語訳) なぜ、むずかしくないのでしょうか。新しい契約は、シナイ山のような仕方で命じないからです。それはむしろ、医者が患...

聖書が語る恐れ — 自由にする七つの真理

医者はパニック発作に薬を処方できます。カウンセラーは、思考の枠組みを組み替える術を教えてくれます。けれども聖書は、そのどちらにもできないことをします。恐れがどこから来たのか、だれがそれを打ち破ったのか、そしてなぜそれがもはやあなたの人生に立ち入る権利を持たないのかを、はっきり告げるのです。 恐れは、神が聖書の中で最も繰り返し語られた主題です。「恐れるな」という言葉は、聖書に三百六十五回以上出てきま...

真実をはさむ愛

愛のない真実は人を壊します。真実のない愛は人を欺きます。 主イエスは、その両方を同時に手に持つすべを知っておられました。 井戸のそばでサマリヤの女と交わされたやりとりを思い起こしてみましょう。彼女は人々から外され、壊れた関係が幾重にも絡まり、恥を背負って生きていました。 主イエスは、彼女の過去を見ないふりはなさいませんでした。けれども、そこから話を始めもしませんでした。 主はまず、彼女に頼みごとを...

シャローム——「平和」では足りない

多くの人は、シャロームを「平和」と訳します。それは「家庭」を「建物」と訳すようなものです。間違いではありません。けれども、まだ足りません。 シャロームは、ヘブライ語聖書のなかでもっとも豊かな言葉のひとつです。旧約聖書に二百五十回以上あらわれます。日々のあいさつとして交わされ、軍勢の上に宣言され、預言者たちによって約束され、神ご自身の名にまで刻まれました。御使たちがイエスの誕生を告げたとき、ただ気分...

聖餐という守り

アダムが堕ちたとき、この世界にあるものが入り込みました。罪に対する、神の宣告です。それは体にも、心にも、被造物そのものにも及ぶ、こわれた有り様でした。 パウロはこう書いています。 「わたしたちがさばかれるのは、この世と共に罪に定められないために、主によって懲らしめられているのである」コリント人への第一の手紙 11:32 (NKJV より私訳) この世はすでに、罪に定められた下にあります。一人ひとり...

御国の通貨

ヨーロッパへ旅に出れば、ドルでコーヒーを一杯買うことはできません。ユーロが要ります。イギリスへ行けばポンド、インドネシアへ行けばルピアが要ります。 どの国にも、そこでしか通じない通貨があり、それがあって初めて取り引きが成り立ちます。 天の御国も同じです。御国にも通貨があります。けれどもそれは、金でも銀でも、立派な行いでもありません。御国の通貨は、信仰です。 神がそのように定められました。あなたの理...

のろいを残さなかった血

多くの信者が、心のどこかに不安を抱えたまま聖餐にあずかってきました。「わたしは、ほんとうに赦されているのだろうか」「わたしの人生には、まだのろいが残っているのではないか」「神は、まだ何かをわたしに対して数え上げておられるのではないか」 けれども主イエスは、この問いに一度きりで決着をつけてくださいました。 杯を取り上げて、主はこう言われました。 「これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のため...

神の愛の言語

人にはそれぞれ、こう愛されたらうれしいという形があります。神もまた、同じです。主は、ご自分をどのように覚えていてほしいかを、はっきりと言い残してくださいました。 主イエスは「わたしを記念して記念碑を建てなさい」とは言われませんでした。言われたのは、こうです。 「わたしを記念するため、このように行いなさい」 ルカによる福音書 22:19 (口語訳) 聖餐のことです。パンと杯のことです。 聖餐にあずか...

聖餐は儀式ではなく、あずかること

聖餐は儀式でも象徴でもありません。聖書はそれを、思い起こすためのものだと語ります。 またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。ルカによる福音書 22:19 (口語訳) ここで用いられているのは (アナムネーシス) ἀνάμνησις — 「記念、思い起こすこと」という言葉です。...

癒やしは、主を見つめるところから

主イエスは、こう言われませんでした。「あなたがたの失敗を記念するため、このように行いなさい」とは。あなたの状態を、とも。あなたの葛藤を、とも。 主が言われたのは、こうでした。 「わたしを記念するため、このように行いなさい」ルカによる福音書 22:19 (口語訳) いやしは、自分の弱さを見つめることからは流れ出しません。主の強さを見つめるところから、流れ出します。 裂かれ、破られ、血に染まったあの御...

山が甘いぶどう酒をしたたらせる

山は、たいてい厳しい場所です。岩だらけで、傾斜がきつく、登るのは容易ではありません。山を見上げて「ここに備えがある」と思う人はまずいないでしょう。私たちが思い浮かべるのは「立ちはだかるもの」です。けれども、神はこう言われます。「山々は甘いぶどう酒をしたたらせ、もろもろの丘は乳を流す。」 アモス書 9:13 (NKJV より私訳)祝福がどこから来るかに目を留めてください。ほかでもない、山からです。障...

ふさわしくないのは、あなたではありません

「主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招くからである。」コリント人への第一の手紙 11:29 (口語訳) この一節のゆえに、多くの信仰者が「自分はふさわしくない」と感じて、主の食卓から遠ざかっています。けれどもパウロは、人がふさわしくないとは、ひとことも言っていません。ふさわしくないのは仕方のほうです。 ここは言葉のかたちが大切です。原語は (アナクシオー...

神は求める方ではなく、満たす方

神と歩むなかで、多くの人がひそかに間違った思い込みを抱えてきました。心の奥に貼りついた、目には見えないチェックリスト。「まだ足りない。もっと頑張りなさい。もっと良くなりなさい」。 それは聖なる声のように響きます。けれども、人を疲れ果てさせます。 そして実は、律法はまさにそのために与えられました。あなたを直すためではなく、自分で自分を直せないと気づかせるために。 「律法はモーセをとおして与えられ、め...