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検索語: “記念”

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倒れる者はひとりもいなかった

エジプトでの最後の朝を思い描いてみてください。 二百万とも三百万とも言われる人々が、たった一夜で奴隷の地を出て行きます。彼らはれんが作りの労働者でした。背中が鞭を知っている人々でした。その中には年老いた男も、白髪の祖母も、小さな子どももいます。ところが、その群れのどこにも担架は一つも見当たりません。杖にすがる老婆もいません。誰かに背負われている者もいません。 「そして彼らに銀と金とを携えて出させら...

香ばしいかおりは、三つだけ

レビ記は、五つの供え物から始まります。イスラエルはその五つを同じ祭壇に運び、同じ火がそれを焼き尽くしました。それなのに、神が「香ばしいかおり」という言葉を添えられたのは、そのうちの三つだけです。 後の二つ、罪祭と愆祭は義務でした。罪を犯したなら、携えて行かなければなりません。前の三つ、燔祭と素祭と酬恩祭は自発でした。それを手から引き出す律法はどこにもありません。ただ神を愛していたから、感謝したかっ...

神の愛の言語

人にはそれぞれ、こう愛されたらうれしいという形があります。神もまた、同じです。主は、ご自分をどのように覚えていてほしいかを、はっきりと言い残してくださいました。 主イエスは「わたしを記念して記念碑を建てなさい」とは言われませんでした。言われたのは、こうです。 「わたしを記念するため、このように行いなさい」 ルカによる福音書 22:19 (口語訳) 聖餐のことです。パンと杯のことです。 聖餐にあずか...

聖餐は儀式ではなく、あずかること

聖餐は儀式でも象徴でもありません。聖書はそれを、思い起こすためのものだと語ります。 またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。ルカによる福音書 22:19 (口語訳) ここで用いられているのは (アナムネーシス) ἀνάμνησις — 「記念、思い起こすこと」という言葉です。...

癒やしは、主を見つめるところから

主イエスは、こう言われませんでした。「あなたがたの失敗を記念するため、このように行いなさい」とは。あなたの状態を、とも。あなたの葛藤を、とも。 主が言われたのは、こうでした。 「わたしを記念するため、このように行いなさい」ルカによる福音書 22:19 (口語訳) いやしは、自分の弱さを見つめることからは流れ出しません。主の強さを見つめるところから、流れ出します。 裂かれ、破られ、血に染まったあの御...