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検索語: “奉仕”

7件の記事が見つかりました

繁栄は何のためか

「繁栄」という言葉を聞くと、どこか落ち着かない気持ちになる人は少なくありません。強欲さや自分本位、あるいは上っ面だけの教えを思い浮かべてしまうからです。その警戒心のあまり、神の約束を霊的な領域だけに閉じ込めてしまう。神は霊において豊かにしてくださる、そこまでは信じられる。けれども、からだの健康や日々の必要については、どこか自信が持てないままなのです。 しかし使徒ヨハネは、愛する信徒たちのために、は...

祝福される人から、祝福になる人へ

神がイサクに語りかけられたとき、「祝福する」に、ある特定の言葉が用いられました。 「この地にとどまりなさい。わたしはあなたと共にいて、あなたを祝福し」 創世記 26:3 (口語訳) ここで使われているヘブライ語は (バーラク) בָּרַךְ です。これは動詞——祝福するという働きそのものを指します。神が今まさに、恵みと増し加えと力を、あなたの人生に注いでおられる、その動きです。 けれども神のご意...

神はあなたの祈りも等しく聞かれます

シナイ山で、イスラエルは仲立ちをする人を求めました。 神が山の上に降られ、人々はそのふもとに立っていました。けれども彼らは、自分から近づこうとせず、モーセを前に押し出したのです。 「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞きます。神がわたしたちに語られぬようにしてください。それでなければ、わたしたちは死ぬでしょう」 出エジプト記 20:19 (口語訳) この本能は、今も私たちから離れてい...

務めの前に、まじわりを

イエスは、正すことから始められませんでした。つながることから始められました。 召しについての話をなさる前に…失敗にお触れになる前に…何かをお命じになる前に… そこには、食事がありました。 「さあ、朝の食事をしなさい」 ヨハネによる福音書 21:12 (口語訳) 恵みはいつも、まずまじわりを養います。 イエスは、「ペテロよ、申し開きをしなさい」とは言われませんでした。ただ、「さあ」と招かれたのです。...

旅路が遠すぎるとき

燃え尽きは、いつも罪とはかぎりません。ときにそれは、ただ体の道理です。 わたしたちは疲れ果てても、立ち止まることを弱さの証拠のように思って、무理を押し通そうとします。もっと働こう、もっと長く祈ろう、とにかくやり遂げよう——そう自分に言い聞かせるのです。 けれども神は、わたしたち自身よりもはるかに現実的に、人の限界をご存じです。 エリヤが荒野で倒れ伏したとき、神は「起き上がってもっと励め」とは言われ...

拍手の向こう側で

古代アテネの両替商は、削られた貨幣と向き合わなければなりませんでした。柔らかい金属の縁をそっと削り取り、少しずつ価値をかすめ取る者がいたのです。そうした貨幣を受け取らなかった両替商は、(ドキモス) δόκιμος — 「試されて認められた」と呼ばれました。誠実さを試され、その試しに合格した人、という意味です。 「あなたは真理の言葉を正しく教え、恥じるところのない働き人になって、神に自分をささげるよ...

平安が増し加わる道

多くの人が、もっと平安がほしい、もっと恵みを受けたいと願います。そして人の本能は、決まってこう尋ねます。「そのために、何をすればいいのか」と。 増やしたいなら、もっと努力するほかない——私たちはそう思い込んでいます。もっと自分を律し、もっと奉仕し、もっと時間を注ぐ。けれども聖書は、成長についてまったく別の道筋を示します。 「神とわたしたちの主イエスとを知ることによって、恵みと平安とが、あなたがたに...