拍手の向こう側で

古代アテネの両替商は、削られた貨幣と向き合わなければなりませんでした。柔らかい金属の縁をそっと削り取り、少しずつ価値をかすめ取る者がいたのです。そうした貨幣を受け取らなかった両替商は、(ドキモス) δόκιμος — 「試されて認められた」と呼ばれました。誠実さを試され、その試しに合格した人、という意味です。
ここで言われている「認められる」とは、救いのことではありません。あなたはすでにキリストにあって、深く愛され、豊かに恵まれています。ここで問われているのは、あなたの仕えぶりです。誠実な働き人であるかどうか、という一点です。
誠実な僕は、富んだ人や名の知れた人のところへ、まっしぐらに近づいたりはしません。豊かな人にも貧しい人にも、まったく同じように接します。だれをもキリストのまなざしを通して見ているからです。人に見られるために仕えるのではありません。すでに神に見られているから仕えるのです。
心を点検しながら仕えるとき、あなたは歩き続けるために群衆の拍手を必要としなくなります。あなたへの「ありがとう」は、もっと高いところから届くからです。
誠実さとは、見ている人がただひとり、あなたが仕えているその方だけであるときに、あなたがすることです。
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