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十分の一は、律法より先にありました
ひとりの人が、自分の持ち物すべての十分の一を、ひとりの祭司に手渡しました。モーセの律法が与えられる四百年以上も前のことです。命令もなく、義務もなく、神殿もありません。あるのはただ、自分を救い出してくださった神への、感謝のこたえだけでした。 その人がアブラハム。そして祭司がメルキゼデクです。 十分の一をめぐる話は、たいてい義務から始まります。「ささげるべきですか」「ささげなければ神に罰せられますか」...
検索語: “良いわざ”
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ひとりの人が、自分の持ち物すべての十分の一を、ひとりの祭司に手渡しました。モーセの律法が与えられる四百年以上も前のことです。命令もなく、義務もなく、神殿もありません。あるのはただ、自分を救い出してくださった神への、感謝のこたえだけでした。 その人がアブラハム。そして祭司がメルキゼデクです。 十分の一をめぐる話は、たいてい義務から始まります。「ささげるべきですか」「ささげなければ神に罰せられますか」...
多くの人は「恵み」を、受けるに値しない者への好意、と説明します。間違いではありません。けれども、まだ足りません。ローマを訪れて噴水をひとつ眺め、これが街のすべてだと言うようなものです。 新約聖書で「恵み」と訳されている言葉は (カリス) χάρις — 「恵み、好意、賜物」です。新約に百五十六回、百四十七の節に現れます。パウロが用い、ヨハネは福音書の序文をこの語を軸に組み立て、ルカはイエスの口から...
裁判はすでに終わりました。判決は言い渡され、裁判長は席を立ち、木槌の音も鳴りやんでいます。それなのに被告席の人は、もう一度立ち上がってこう尋ねるのです。「でも、本当に確かなのでしょうか」。 これが、自分の救いを疑っている信者の姿です。 「クリスチャンは救いを失うことがあるのか」——この問いは、まじめな信者を心の病へと追い込んできました。神を愛する人々から確信を奪い、良い知らせを、細かい但し書きのつ...
あなたの未来が確かなのは、救いがあなたにではなく、キリストに支えられているからです。 人の努力の上に立つ希望は、もろいものです。けれども感謝なことに、信じる者は恐れではなく喜びをもって、先を見つめることができます。 パウロはこう書いています。 「神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる」ローマ人への手紙 5:2 (口語訳) おののくのではなく、喜ぶ。ぐらつく不安ではなく、確かな望み。 なぜでしょう...
人は一生をかけて「何者か」になろうとします。けれども福音は、あなたはすでにそうなのだ、と告げます。 救われたとき、あなたが受け取ったのは課題ではありません。新しい身分です。神は「ふさわしい者になりなさい」と、やるべきことの一覧を手渡されたのではありません。あなたをキリストのうちに置き、「すべては終った」と言われたのです。 問題は、多くの信じる者がなお古い身分から生きていることです。すでに受け入れら...
自分が何を手にしているのか、私たちはときどき忘れてしまいます。息をしている書物を、です。 パウロはこう記しました。「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって」テモテへの第二の手紙 3:16 (口語訳)。この「神の霊感を受けて」は、もとの言葉ではたった一語です。(テオプネウストス) θεόπνευστος — 「神が息を吹き入れた」 つまり聖書は、神についての人間の推測を書き留めた記録では...
律法は実を要求します。恵みは実を結ばせます。 主イエスは言われました。 「良い木が悪い実をならせることはなく、悪い木が良い実をならせることはできない」マタイによる福音書 7:18 (口語訳) 実は、力ずくで生らせるものではありません。木の内側に流れている命が、おのずと結ばせるものです。 パウロはこう書いています。 「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神である」ピ...