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検索語: “共同体”

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ソーゾー — 救いも、いやしも、解放も、ひとつの言葉に

多くのクリスチャンが、「救われた」という言葉を知っています。けれども、その言葉の背後にあるギリシア語 — ソーゾー — が、同時に「いやされた」「救い出された」「全きものとされた」「守られた」という意味を持っていることを知る人は、それほど多くありません。一つの言葉が、そのすべてを抱えているのです。 これは小さなことではありません。神は初めから、救いをあなたのたましいのところで止めるおつもりなどなか...

聖書が語る赦し ― 恵みが与える自由

法廷と十字架は、同じことを語ります。負債は支払われた、と。違いがあるとすれば、十字架は、いつか信じるすべての人のために、その人が生まれる二千年も前に支払いを済ませたということです。 赦しは、自己啓発の棚から出てきた新しい思いつきではありません。聖書の中心にある出来事です。エデンから空の墓まで、聖書全体の流れは一つの出来事へ向かって進みます。神が人類の負債を帳消しにし、この勘定は済んだと宣言される出...

キリストにあるあなたは誰か——恵みが定めた30の真実

人は一生をかけて「何者か」になろうとします。けれども福音は、あなたはすでにそうなのだ、と告げます。 救われたとき、あなたが受け取ったのは課題ではありません。新しい身分です。神は「ふさわしい者になりなさい」と、やるべきことの一覧を手渡されたのではありません。あなたをキリストのうちに置き、「すべては終った」と言われたのです。 問題は、多くの信じる者がなお古い身分から生きていることです。すでに受け入れら...

よき導きは、跡を残します

何かが順調に育っていくとき、人はよく、運や才能やタイミングのおかげだと言います。けれども聖書は、いつも別のものに目を向けさせます。 「家は知恵によって建てられ、悟りによって堅くせられ、」箴言 24:3 (口語訳) 国は、知恵ある指導者の力によって立ち上がります。家庭は、柔和な導き手のもとで癒されていきます。地域は、よく牧される時に花を咲かせます。 すぐれた導きは、決して自分に目を向けさせません。そ...

養い、いやし、また養う

聖書の中に、神が指導者たちに向かって語られる箇所があります。やさしい言葉ではありません。ぼかしてもおられません。痛いほど、はっきりしています。 「あなたがたは弱った者を強くせず、病んだ者をいやさず」エゼキエル書 34:4 (口語訳) 神は、説教の内容が間違っていると責められたのではありません。いやさなかったことを責められたのです。 神にとって、羊を飼うとは、昔から二つのことでした。養うこと、そして...