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検索語: “日ごとの糧”

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ソーゾー — 救いも、いやしも、解放も、ひとつの言葉に

多くのクリスチャンが、「救われた」という言葉を知っています。けれども、その言葉の背後にあるギリシア語 — ソーゾー — が、同時に「いやされた」「救い出された」「全きものとされた」「守られた」という意味を持っていることを知る人は、それほど多くありません。一つの言葉が、そのすべてを抱えているのです。 これは小さなことではありません。神は初めから、救いをあなたのたましいのところで止めるおつもりなどなか...

怒りの根にある飢え

お腹がすくと、人は不機嫌になります。それは誰もが知っている体の道理です。ところが、たましいの飢えとなると、私たちはなかなか気づきません。慢性的な怒り、気分の落ち込み、漠然とした不安に苦しむ人は多いのですが、その原因が、霊を飢えさせたままにしていることにある場合は少なくありません。 その飢えを、娯楽や SNS や食べもので満たそうとします。けれども、どれも効きません。心は空いたままです。 エレミヤは...

うつと聖書——あなたは信仰の失格者ではありません

火曜日、エリヤは天から火を呼び下ろしました。その翌日には、木の下に座り込み、神に「もう死なせてください」と願ったのです。 これは信仰の弱さの物語ではありません。生身の体を持ち、限界を抱えた、ひとりの本物の預言者の物語です。聖書はその一部始終を書き残しました——エリヤに恥をかかせるためではなく、神の民が底を打ったとき、神が何をなさるかを見せるためです。 神は説教をなさいません。みことばを投げつけて叱...

昨日のマナでは、生きられない

聖書は、神の言葉をマナにたとえます。新しく、日ごとに、その人にふさわしく。 イスラエルが昨日のマナをとっておこうとしたとき、それは腐っていました。 主イエスも、祈りを教えられたとき、同じ原則を繰り返されました。 「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください」 マタイによる福音書 6:11 (口語訳) 週ごとではありません。ときどきでもありません。日ごとに、です。 啓示も、同じ仕組みで働きま...

いやしは子供たちのパン

娘をいやしてくださいと必死にすがった母親に、主イエスがお答えになった言葉は、はじめ、冷たく響きます。 「まず子供たちに十分食べさすべきである。子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」マルコによる福音書 7:27 (口語訳) けれども、耳を澄ませてみてください。主はいやしを「褒美」とも「祝福」とも「奇跡」とも呼ばれませんでした。 主はそれをパンと呼ばれたのです。 パンは、特別なもの...