聖書は、神の言葉をマナにたとえます。
新しく、日ごとに、その人にふさわしく。

イスラエルが昨日のマナをとっておこうとしたとき、
それは腐っていました。

主イエスも、祈りを教えられたとき、同じ原則を繰り返されました。
「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください」
マタイによる福音書 6:11 (口語訳)

週ごとではありません。
ときどきでもありません。
日ごとに、です。

啓示も、同じ仕組みで働きます。
先月あなたを養った言葉は、きょうのあなたを励ますことはできても、
養うことはできません。
思い出すことも、感謝することも、口にすることもできます。
けれども、それで生きることはできないのです。

神は、新しい季節には新しい言葉をくださいます。
きょうを歩くための力であって、懐かしむための力ではありません。
この一瞬のための恵みであって、去年の恵みではありません。

昨日の示しは、確かに本物でした。
あなたを祝福しました。
けれども、それがあなたの日々の食卓になるようには、定められていなかったのです。

あなたの心に必要なのは、日ごとの糧です。蓄えたマナではありません。