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栄光へと導かれて

私たちは罪を、規則を破ること、悪い行いをすることだと考えがちです。けれども聖書は罪を、神の栄光に達しないことと語ります。それは行いの失敗である以前に、立場の喪失であり、住む場所の喪失なのです。 ですから救いとは、あなたを地獄から遠ざけるだけのものではありません。あなたを栄光へと連れ戻すことなのです。 「そもそも、万物の帰すべきかた、万物を造られたかたが、多くの子らを栄光に導くのに、彼らの救の君を、...

世界は狭くなったのに

SNSは世界をひとつにつなぎ、距離を縮めると約束しました。けれども実際に積み上がっているのは、重いうつが増え続けているという記録です。 パウロはテモテに、終わりの日には自分を愛する者、大言壮語する者、高慢な者が現れると警告しました。終わりのない流れを指でたどるとき、私たちが見ているのは、まさにその人間の誇りと「当然だ」という思いを、濃く煮詰めて並べた陳列にほかなりません。 「しかし、このことを知っ...

凪を待たない平安

主イエスがくださったのは、世の平安ではありませんでした。ご自身の平安でした。 「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。……あなたがたは心を騒がせるな」 ヨハネによる福音書 14:27 (口語訳) 。 預言者イザヤは、この方を「平和の君」と呼びました(イザヤ書 9:6 口語訳)。 この平安は、人生の歯車がかみ合うのを待つ種類のものではありません。状況が変わったとたん...

誤解の先にある冠

傷の一つ一つ、嘲りの一つ一つ、誤解されたその一瞬一瞬——そのどれも、無駄にはなりません。 主イエスは、栄光の道を歩まれるはるか前に、拒まれる道を歩まれました。イザヤはこう告げています。 「彼は侮られて人に捨てられ」イザヤ書 53:3 (口語訳) けれども、物語はそこで終わりません。 黙示録は、冠を受けられたお方を映し出します。 「見よ、……人の子のような者が……頭には金の冠をいただき」ヨハネの黙示...