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検索語: 受けること

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乏しさではなく、神の気前よさを見る

主イエスが弟子たちをただされたとき、こうは言われませんでした。「どうしてもっと長く祈らなかったのか」とも「どうしてもっと努力しなかったのか」とも。 主が言われたのは、こうでした。 「ああ、信仰の薄い者たちよ。」マタイによる福音書 6:30 (口語訳) これは叱りつける言葉ではなく、むしろ愛のため息に近いのです。「わたしにはこんなに用意があるのに、あなたがたはこれほど少ししか受け取ろうとしないのか」...

救いは失われるのか——恵みの本当の意味

裁判はすでに終わりました。判決は言い渡され、裁判長は席を立ち、木槌の音も鳴りやんでいます。それなのに被告席の人は、もう一度立ち上がってこう尋ねるのです。「でも、本当に確かなのでしょうか」。 これが、自分の救いを疑っている信者の姿です。 「クリスチャンは救いを失うことがあるのか」——この問いは、まじめな信者を心の病へと追い込んできました。神を愛する人々から確信を奪い、良い知らせを、細かい但し書きのつ...

神の手は、与える手

神さまは手を差し出して、こちらが出せる以上のものを求めておられる——そんなふうに思い描いている信仰者を、私はよく見かけます。けれども、真実はまったく逆です。物語はごく単純なところから始まります。神は与えるかたであり、私たちは受けるかたなのです。 主イエスは、祈りが足りないと言って弟子たちを責めたことも、断食が少ないと叱ったこともありません。けれども「ああ、信仰の薄い者たちよ」とは、たびたび語られま...

携挙——主が教会を迎えに来られる時

聖書は、世が暗くなればなるほど、神の民はいよいよ輝くと告げています。 「見よ、暗きは地をおおい、やみはもろもろの民をおおう。しかし、あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、主の栄光があなたの上にあらわれる。」イザヤ書 60:2 (口語訳) そして聖書は、息をのむような一つの瞬間を指し示します。 「わたしたちすべては、眠り続けるのではない。……またたく間に、一瞬にして変えられる。」コリント人への第一...