「訓練」という言葉を聞くと、信じる者の多くは罰を思い浮かべます。
けれども聖書が語るのは、子を形づくってくださる、愛に満ちた父の姿です。

聖書はこう告げます。 「主は愛する者を訓練し」 ヘブル人への手紙 12:6 (口語訳)
すべての矯正の背後にあるのは、怒りではなく、愛なのです。

矯正は、神があなたを退けることではありません。
矯正は、神があなたを守ってくださることです。

父なる神の御心は、ヤコブへの取り扱いにはっきりと現れています。
ヤコブは子やぎの皮を用いて、父を欺きました(創世記 27:16)。
歳月が流れ、今度はヤコブ自身が、子やぎの血を用いた息子たちに欺かれるのです(創世記 37:31)。

それは罰ではなく、回復でした。
見捨てることではなく、形づくることでした。

ヘブル人への手紙は、さらにこう続けます。
「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず……しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる」 ヘブル人への手紙 12:11 (口語訳)

決して訓練しない父は、愛していないのです。
愛なしに訓練する父は、神ではありません。

神の訓練は、あなたに代価を払わせるためのものではありません。
その代価は、すでに主イエスが払ってくださいました。
訓練とは、父がご自分の子を、命へと連れ戻してくださることにほかなりません。

訓練とは、神があなたから顔をそむけることではなく、神があなたを命あるほうへ向き直らせてくださることです。